そこで こう まあ すごい熱帯 あるいは 亜熱帯美しい極彩色の鳥や植物が出るそういう文学を読んできてですね非常にこう 奄美の風景を描いてきた一村の世界と一村は奄美に渡ってから 19年間展覧会を開くこともなく自然を描き続けたという。 今日は その奄美大島での暮らしを中心に一村の人生・画業その実像に迫ろうと思います。 大矢さんは一村の足跡を訪ねて奄美大島には もう60回以上も通われているという一村研究のね 第一人者でいらっしゃいます。
それから ビロウ樹の裂け目にアカショウビンを配するという非常にデザイン的なね面白い作品になってますね。 しかし 一村は 僅か2か月で東京美術学校をやめています。 昭和13年 一村30歳の時一家は東京を離れ千葉の千葉寺という町に移り住みます。 一人 絵の道を追求していた一村はこの作品を青龍社展に出品。 一村は 「青島の朝」を包んでいた紙にそして ビロウが風にそよぐ南国の風景。
普通は 金屏風は装飾性を強くするんでこういうね 農村風景はちょっとリアルな農村風景は描きませんよね。 多分 環境的には厳しい状況にあったと思うんですけどでも 芸術家として自分の作りたいもの新しいものにチャレンジしていくんだっていう。 そのようにして 50歳で奄美大島に渡る決断をした一村がどのように暮らしそしてどのように絵がね 変わっていったのか続いて見ていくことにしましょう。 九州の旅を経ていよいよ 昭和33年12月一村は奄美へ渡りました。