ETV特集 シリーズ アメリカと被爆者 第1回「シュモーさんを探して」

戻る
【スポンサーリンク】

この番組のまとめ

その市民が なぜ広島で家を建てたのか?私たちは アメリカでシュモーの足跡を追いました。 日米のボランティアが参加したプロジェクト。 アメリカで 自ら信じる平和を訴え行動したシュモー。 爆心地の近くにある広島平和記念資料館は原爆の被害の実相を伝えています。 像のモデルになった佐々木禎子さんは私とシュモーさんは被爆体験がないという意味では同じ条件なので 私ができなくはないよねって思って励まされて。 建設現場では 大工の指導のもとボランティアたちの手で作業を進めます。 建設資金はシュモーがアメリカで集めた寄付。

アメリカが参戦した時シュモーは 22歳でした。 アメリカ政府は 日系人を国の安全を脅かしかねない「敵性市民」と見なします。 西海岸に住む日系人およそ12万人に各地につくられた収容所への移住を命じたのです。 私は 一つのグループの人々をシュモーは日系人支援に乗り出していたクエーカーの組織に参加します。 こうしたクエーカーの活動の中心になっていたのが多くのアメリカ人が国の方針に従い日系人への迫害に沈黙する中シュモーは違いました。 「米戦艦 ミズリー号上で日本降伏文書 調印式が…」。

ここで シュモーに日本入国への道を開いたのは復興支援団体 ララでした。 代表の一人が シュモーと共に戦時中 日系人支援をしていた…それは 家畜の世話係としての入国でした。 プロジェクトへのアドバイスを求める シュモーに対し高良は 貴重な情報を伝えます。 広島市立大学の永井 均教授はシュモーの書簡を読み解いています。 シュモーは「ヒロシマの家」にかける思いを昭和天皇に宛てて書きつづります。

日本の復興プログラムに応募長崎で活動を始めます。 シュモー住宅は父親のいない子供たちが集まる場所となったのです。 みんながそろったクリスマスの写真。 名前を手がかかりにシュモー住宅の住人を探すためです。 父を原爆で亡くした馬場充夫さん。 父を フィリピンの戦闘で亡くした吉田静夫さん。 浦川恭子さん古橋悦子さん姉妹。 馬場充夫さんは 母のおなかの中にいる時に被爆しました。 シュモー住宅の一角には集会所がありました。 あのクリスマスの写真を撮った場所です。