こころの時代~宗教・人生〜 アンコール「人から人へ」

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この番組のまとめ

近藤さんは 1944年広島の爆心地に近い教会でこの30年余り 自身の被爆体験を伝え続けてきました。 平和への願いを語り続けた父の遺志を受け継いで国内はもちろん 世界各地での講演活動を続けています。 こんなボロボロの箱だと捨てられたらいけないので「重要広島」「原爆レンガ」「服」って。 近藤さんの父が牧師を務めていた広島流川教会は爆心地から800mの所にありました。 近藤さんと 母チサさんはそこから少し離れた牧師館で建物の下敷きになりました。

被爆の現実を現在の広島流川教会。 まあ立派だったもんだから大工さんが それを父に聞いたら焼けた礼拝堂の2階っていうのがバルコニーになってて敗戦の翌年 教会では屋根のない会堂での礼拝が再開されました。 谷本さんは アメリカに渡り広島の窮状を訴え被爆後 1年半 2年たったら もう海外に行きましたからね アメリカに。 アメリカの落とした爆弾によってこういうふうになったという事を やはり知らせなきゃいけないって…。 シュモー博士というアメリカ人の方なんですけども大学の先生です。

講演は 同時に真珠湾攻撃を非難する人被爆から10年やけどを負った女性たちが治療のためアメリカに向かう事になりました。 世の中の事を そろそろ分からなきゃいけない」と思い「紘子 あそこにいる方はキャプテン ロバート・ルイスといって広島に原爆を落としたB29 エノラ・ゲイという飛行機に乗っていた副操縦士のおじさんよ」って教えてくれた。 キャプテン ルイスは飛行機の窓から広島を見た。 そして彼は すぐ…副操縦士ですから飛行日誌に ずっと 何時何分経度何度の所を飛んでるとか全部 記録しないといけない。

実は 「This Is Your Life」に出たあともう その子と 結局3か月毎日遊んで 毎日ケンカして毎日笑って…。 中学生以来初めて この場所に入ったのは日米の大学生を案内した10年ほど前の事でした。 で 私は…父も アメリカで教育受けたし多くの人たち広島に手を差し伸べた人たちジョン・ハーシーをはじめ ノーマン・カズンズドクター シュモーみんなに かわいがられたからアメリカの人は大好きだったけどあの日の事を通してなぜか もう検査をしたくなくなったのね。

だから… I’d like to saythank you to you.ありがとうを言いたい。 近藤さんご自身が 広島に帰って自分の被爆体験を話していこうとかそういうふうに思っていかれるというきっかけは何だったんでしょうか?アメリカから 子どもの財団「Children As The Peacemakers」っていう財団が子どもたちと来るのでちょっと時間があったら対応してもらえないかって言われて実は キャプテン ルイスとの出会いを自然に まず 出ました。