永田さんは河野さんの死を通して科学者として また歌人として命とは何か考え続けています。 短歌と科学っていう全く違う分野のね ご本が一つの書棚に並んでるって永田さんの本棚らしいなと思ったんですけれども。 やっぱり そういうふうな感性をお持ちだというのは永田さんが歌人でらっしゃるからですか?え~とね 私が 今 学生たちにいつも言ってるのはサイエンスには 知らないものを知りたいというロジカルに いろんな事を考えて論理的に考えて特に研究者には必要だと思いますよね。
彼女も 永田が あんな生活をして帰ってきて やってるんだから私も やらなきゃと思って同じように頑張るというまあ それは 河野自身もどっかに エッセーに書いてますけどまあ そういう生活で お互いに一つは 負けたくないという思いもありましたしいや本当に よく けんかしたなぁ。
やっぱり 一応うまく手術ができたと言われてても100% 安全だという事ではなかったのでだから いつ再発するかという不安を 本人は抱えていてそれは とても大きな要因だったと思うしもう一つはやっぱり 我々 横にいる人間が普通の生活を続けていて河野と寄り添ってやらなかったというかむしろ 何も特別に扱わない事が河野を元気づけるみたいにこれ つらい事で 一応 私も癌学会で仕事をしてた事もありがんは 専門ではないけどある程度 分かるので今の がんの治療の最先端ってどこにあるんだ?どうしたら 一番治療の可能性あるんだっ
ただ たまたま京都新聞社の企画で「京都うた紀行」というエッセーを書くという事になってで 京都・滋賀周辺の 「歌枕」と言われる地形 場所を訪ねてまあ 訪ねた事をエッセーに書いて最後に歌を作ると。 まあ 彼女もそんなに長くないって事は自分で自覚してたと思いますしまあ やっぱ これから引き算の時間を生きていくんだみたいな事は自分で 結構強く思いましたね。
そういう姿をそばで ご覧になっていて永田さんは どういうふうに感じてらっしゃいましたか?う~ん… あの…手も動かせなくなってるような状態ででも 歌だけが口から漏れてくるという体も しんどかったと思うしお医者さんは 最後モルヒネで眠らせましょうという事を言われたんだけどみんな長生きしてほしいと思うけどやっぱりでも やっぱりあなただけなんだよと彼女が言っているとか。 楽しみは 近くに住む娘の紅さん 孫の紅里ちゃんと永田先生 今日は何なんですか?今日はねビーフシチュー作ろうと思って。