ドキュランドへ ようこそ!・選「ピーターラビット 生みの親を訪ねて」

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この番組のまとめ

その人気は 衰える事なく今も 世界で 15秒に1冊というペースで売れ続けています私は 1998年に 舞台でビアトリクスの役を演じ以来 すっかり彼女に魅せられました。 ビアトリクスに代わって筆を執ります本当にワクワクしますね!ビアトリクス・ポターが時代を超えて 輝きを放つ理由をお話ししましょう彼女の人生はここから大きく動き始めます旅には 「ピーター・パイパー」もお供しました。 かつての家庭教師の息子…ビアトリクスは友人の子どもたちに度々 動物のお話を書いて送ってあげていたんです。

「パンチ」という名前のカエルもいましたビアトリクスは動物が大好きな子どもでした。 一方 そのアプローチはとても科学的でもありましたビアトリクスとバートラムはペットの事をつぶさに観察していました。 ルパートは よく 娘と科学分野の最新の話題について話し合いましたビアトリクスは学問上の新発見を巡って議論するような知的な家庭で育ちました。 ビアトリクスと知り合ってからは10年間主に手紙をやり取りしながら共同作業をしました。 しかし 内容不十分と判断されビアトリクスは論文を取り下げます自分で発表できなかったのね。

病気の男の子 ノエルのためにウサギのお話を書いた時それから 8年ノエルの母親で ビアトリクスの元家庭教師であるアニー・ムーアからこのウサギの話を基に童話を書いたらどうかと勧められましたヴィクトリア時代出版業界は急成長し熾烈な競争が繰り広げられていました。 それでも諦めず ビアトリクスは7つ目の出版社 大手のフレデリック・ウォーンに作品を売り込みましたフレデリック・ウォーン社に出版したいと言わせたら大変な快挙です。

ビアトリクスは 兄 ハロルドとはよく意見が ぶつかりましたが末っ子のノーマンとはとても気が合いましたハロルドも分かっていたんだと思います。 本のデザインや編集に関してビアトリクスの相談相手が務まるのは弟のノーマンしかいないという事に。 婚約から3週間後両親は 結婚生活を夢みるビアトリクスをロンドンから連れ出しましたネズミとウサギとハリネズミのティギーおばさんを連れてウェールズに旅立ちました。

担当者は ビアトリクス相手に「カエルの色を知っているのか」と愚問を投げかけました。 父が子どもの頃 ビアトリクスはハードウィックの品評会で審査員をしていたそうです。 1908年に書かれた作品にはビアトリクスが飼っていた牧羊犬のケップが登場します挿絵には今も残る タワー・バンク・アームズというパブも登場します。 ビアトリクス・ポターの名を冠した商品はヒット間違いなしと言われました。 1911年ビアトリクスが湖水地方のヒルトップ農場に移り住んで6年が経ちました。

しかし 1913年ビアトリクスとウィリアムはロンドンでひっそりと結婚しましたそして 同じ年「こぶたのピグリン・ブランドのおはなし」を出版。 「ピグリン・ブランド」と一緒に橋の向こうに逃げたかわいらしい こぶた「ピグウィグ」は実は ビアトリクスが自分自身を投影したキャラクターなのではないかと。