こころの時代~宗教・人生〜 シリーズマンダラと生きる5▽むすびつけるということ

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この番組のまとめ

こちらが 放射状に仏が並んで描かれている「胎蔵マンダラ」そして一方 格子状の構造を持つ「金剛界マンダラ」。 胎蔵と金剛界という2つのマンダラのむすびつきを説明するうえでも非常に貴重な存在だと思います。 お堂の両脇に 胎蔵と金剛界の2つのマンダラを掛けて聖なる空間にしたうえで天下の太平を願うという儀礼を行うわけです。 これは空海が持ち帰ってきた時に2つあるという事は マンダラが伝わった インド チベットそういうところでも 同じような用いられ方をしてるわけですか。

「大日経」の教えでは これらも皆大日如来が姿を変えた化身であり本質は尊いものだといいます。 最初のマンダラは「降三世三昧耶会」と呼ばれます。 他者との交わりを絶ち自らの救いのみを追い求める「大日経」が少し先行していてちょうど この密教が確立するちょうど そのあたりで成立をしてますんでそれまでの大乗仏教まあ 他人様を救いなさい利他行といいますでしょう。

そして 真言といって聖なる呪文を唱える事で即身成仏が成就するというこれが密教的な理論ですしそれは非常に新しいというかやりやすいというか受け入れやすいものですよね。 当時 60歳を過ぎ死が近い事を感じていた恵果は自ら知りえた密教の全てを伝えられる弟子を生誕の地とされる 香川県 善通寺。 しかし 立身出世のみを説く大学の学問にそのころ 空海は一人の僧侶から仏教の秘法を授けられます。 四国の山中や洞窟でこの秘法に打ち込んだ空海はある夜明け 口の中に金星が飛び込むという奇跡的な体験をします。

残念ながらその義明さんが夭折されたつまり 若くして亡くなってしまいましたので恵果阿闍梨としてはご自分の後継者がいないという対等に近い関係と言ってはおかしいですけれども両方に得るものが 多大にあったという事だと思います。 恵果阿闍梨自身は 漢族中国人ですけれども密教の中には そういう別の人種が入ってるんですね 異民族が。 しかも 歴史的な事を申し上げると唐という時代が多分中国の中で一番異文化に対して寛容だったんだと思うんですよね。

瞑想での即身成仏を説く金剛界マンダラと利他行を通じた悟りを説く胎蔵マンダラ。 そのへんはですね 「大日経」胎蔵マンダラの世界を実践する事によって十分 乗り越えられると思ってたと思うんです。 満濃池とか大野池の修復であるとか綜芸種智院のような庶民教育多分 世界最初だっていわれてますけども実際 運営してますからそういう事を通じて利他行の実践という事を十分にしたわけでしょう。 空海にとって 高野山は恐らく 金剛界のマンダラそう見えていたようですからそこで修行をするという。

そういった意味では全く同時という事もありえたでしょうけれどもどちらかといえば例えば 胎蔵を優先する時期と最初に 恐らく悟りだけを目指したら徳一さんの批判を モロに食う事になるでしょうからそういった意味でも利他行を集積するという胎蔵的な世界をまず生きたうえでその上に 自分の悟りを求める金剛界的な生き方をするという。

もともと胎蔵マンダラは 「大日経」に出てくる言葉ですけれども「如実知自心」と。 2つのマンダラを体現するように生きた空海。 胎蔵と金剛界 両部のマンダラを堂の両脇に掲げ争いや災害のない事や五穀の豊じょうを願います。 まあ 一般的に言うところの人生の集大成の時期終盤を迎えたところでの空海の思いですね。 もう一つはですね「個人の精神的な救済」という事だと思ってまして前者の社会的な規範の提供というのは胎蔵マンダラからくみ取れるんじゃないかと。