こころの時代~宗教・人生〜 アンコール「イエスと歩む沖縄」

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この番組のまとめ

これで ほんとに日本人教育としてまともかどうかって私はね 疑いましたしね多少 軽蔑の感情がありましたよ。 例えば 赤白の旗を持った手旗信号これなんかはね沖縄にいた時一般的に言いましたらね普通のレベルの日本人じゃ間に合わないんですよ。 一般的なレベルの日本人以上の日本人にならないとねそのレベルの壁は破れないんです。 誰からも後ろ指さされないようなそれこそ 天皇さんから褒美がもらえるぐらいにですね日本人になるという事が 必然的に私たちの方向性だったんですよ。

これは 私はね生まれて初めて自分の一体自分は何人なのかという事を考えさせられる非常に大きなショッキングな経験でしたね。 那覇から空路およそ1時間弱平良さんの生まれ故郷の島 宮古。 平良さんが高校生の頃に洗礼を受けた教会の流れをくむ伝道所です。 平良さんは 偶然訪ねた教会で国仲牧師と出会いだったらね ほんとに信じていいものは あるのかと。 当時ハンセン病施設は 島の片隅に有刺鉄線を張って隔離され患者たちは子供を産む事を禁じられるなど不当な差別を受けていました。

♪「罪の世びとらに」♪「血しおのいずみを」♪「ひらきて救いを」♪「あらわししイエスよ」♪「迷いし われをも」国仲牧師さんってどんな人でしたか?はっきり分からんけどきれいな人だったの。 小禄さんは 南静園の中で国仲牧師から洗礼を受けました。 国仲牧師は墓を建てる事を望まず南静園で亡くなった人々と共にここで眠っています。 大学院まで進んだ平良さんは7年後 沖縄に戻り嘉手納基地を抱える街 コザ市で牧師としての第一歩を踏み出します。

コンセットの上地教会にも時々米兵がやって来ましたからね一緒に礼拝に参加したりそれから その米兵に誘われてゲートを通って基地の中の教会に案内されたりした事もあったし。 そういう事をですね経験を積み重ねていく中で私個人だけじゃなしに上地教会だけではなしに沖縄の教会総体としてですね定着してきたっていう姿勢っていうかなそれはですね…。 1965年 平良さんはアメリカ南部テネシー州にあるある日 平良さんは白人の友達に誘われ教会で開かれた黒人の集会に参加衝撃を受けます。

私は 黒人との出会いでもってね特権階級であるところの米軍の側じゃなしにね彼らによって さいなまれている沖縄の痛める民衆の中にこそキリストがおられると。 小さな者と生きる牧師としての目覚めを得て沖縄に戻った平良さんを待っていたのは新しい高等弁務官の就任でした。 最初に演壇に立った平良さんは神に「新高等弁務官が 沖縄にとって最後の高等弁務官になりますように」と祈りました。 高等弁務官が支配をするという状況はよくないと 沖縄にとって。

自分自身を大切にするようにあなたの隣人を大事にしなさいと。 例えばですね ユダヤの社会では神の前に静まる日であるというのが 安息日なんですね。 「安息日は人間のためにあるのであって安息日のために人間があるのではない」と彼は言い切りましたね。 例えば キング牧師だってねバス・ボイコット運動をやったじゃないですか。 黒人の人権獲得黒人の解放のためでしょう。 「なんで あなたは牧師さんなのに労働組合の幹部みたいな事をやるんですか?」って手紙をくれた人もいますよ。