東京美術学校図案部の久保克彦の卒業制作。 第二画面は 立体的な楕円や球体が浮遊しチョウや花々が乱舞する不思議な構図です。 中央の第三画面は墜落する戦闘機と大きな船の周りに鳥や昆虫 魚などが一見 無秩序に描かれたダイナミックな具象画になっています。 となると 構図の こう幾何図形的な ジオメトリックなものとわりと こう 黄金比を扱って画面が作られています。 中央の画面は縦横の長さの比率から黄金長方形になっています。 さらに 第四画面の複雑な図像を押元研究室で3Dの画像にしてみました。
久保克彦は 大正7年 瀬戸内海の小さな島に生まれました。 昭和13年 念願の東京美術学校 工芸科図案部恋ナヂョしたい。 久保克彦の人生の足跡をたどり画集まで まとめた…東京美術学校で同級だった河 潤之介さんによるとまあ 河さんは久保君は とにかく几帳面で勉強家で 読書家だった。 ただ なんていうのかな「図案対象」を描きながらそんな甘酸っぱい日々が終わりやがて久保の人生に 暗い影が大きくのしかかってきます。
軍隊という不条理な組織の中でなんとか自分を見失いたくないという そういう苦悩ですとか野見山さんは 久保の卒業制作を見た時 衝撃を受けたと言います。 久保は 西荻窪の姉の家にアトリエをしつらえ私が思いますのには恐らく 久保の短い生涯で一番幸せな時間だったんじゃないかなと思います。 自分の人生とか学問芸術の総集 総括みたいな人間の精神に求めた歓喜と尊厳の栄誉も 夢のまた夢肉体と食慾の世界へ入ります。 昭和19年4月末久保克彦は 中国の湖北省に見習士官として出征します。