まあ 落語っていうのは お一人で演じ分けられるんですけどそういうものを ある意味ではお手軽に見れるっていうのはなんとも 話芸って奥が深いなと思える近所のレコード屋さんに行くと談志師匠のカセットテープが売ってたんですよ。
「そんな話はどうでもええべ もう!おら 三文返しとる」。 だで 俺 三文貸した。 10年たたないうちに深川町 深川の蛤町間口の六間半 蔵の三戸前。 うわ~ もう これは大変だ!圓生師匠 僕 大好きなんです。 最後に 江戸弁をナチュラルに使ってた師匠っていわれてんのかな?「何々でげす」とかって最後まで おっしゃってた師匠。 ただ 「真景累ヶ淵」とかもこの「鼠穴」とかも圓生師匠のやる田舎のしゃべり方っていうのがすごい しっくりくる。
吉笑さん どうですか?結構 だから落語って 割ととんとん やったりとかそんなに気持ち入れずに楽にやったりするのが多いんですけど特に この噺とかはその中盤以降というかグッて 多分入り込めるというか皆さん やっぱり…何か それは やっぱ 見てて気持ちよさそうだなというか。 落語家なんだけどここまで入り込んでやってるっていうものに対して僕は まだ てれがあるからある程度 ここにちょっと 第三者的なものを…まだ 客観的に見る自分を置いときたいっていうとこのせめぎ合いがありますねあそこでね。
鶴瓶師匠が 関西出身で松鶴師匠に関西弁というか 大阪弁の噺を稽古でやってる時にまあ 明らかにこれ おかしいだろうとかね過剰だろうとかね そういうのは注意されたりする事ありますけど覚えてる事は出るけども何か間違えた時とかにリカバリーが…。 そんなパターンも ありなんですか?そんなん あり?一之輔師匠に ちょっと質問なんですけれども「鼠穴」という事で夢オチなんですね。