こころの時代~宗教・人生〜 シリーズ マンダラと生きる第6回▽マンダラと日本人

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この番組のまとめ

インドで生まれたマンダラは平安時代に弘法大師空海によって日本にもたらされました。 「西院本曼荼羅」は 日本に現存する最古の彩色マンダラ。 集合しているものは 全部マンダラになってしまうわけでそこで 日本人が古来から持ってきた信仰とかあるいは日本という場が置かれてる風土とかそういったものが どんどんここ 溶け込んでいって新たなものを生んできたと思うんですよね。

今までのマンダラはマンダラの中心に大日如来という 偉い如来様が坐ってますけどその大日如来とは別だという別の仏様を本尊として2体を特別に取り出してそれを尊いとするという。 いわゆる これは現世利益的なところであって家内安全とか あるいは健康祈願であるとかまあ 場合によっては恋愛成就なんていうのがあったかもしれませんけれども特定の願いをかなえるためにその分野が得意な仏様をご本尊としてマンダラとして描くと。

で そしてそれが十分にというかあるいは 人間以上に早く成仏を遂げるかもしれないというそういう思想すら空海や あるいは天台宗の中の安然は唱えてますからね。 自然の価値というかそれは インドやチベットとは全く違う価値を日本の密教が認めたからこういう構図が出てくるんだと思うんですよね。 とすると日本のその独自の発展を遂げたマンダラには自然というものが キーワードになってるという事ですね。

日本の神様は もともとはインドの仏菩だったんだよといういわゆる 本地垂迹説とかっていわれてますけれども。 胎蔵マンダラだと結構 縁の部分に縁から中央には出られなかった感じですよね異教の神様は。 特別な神殿があってそこに いらっしゃる事もあるかもしれませんけど基本的には 自然の中に宿ってらっしゃるわけですから日本の神様と自然は切り離せませんよというそれを示してくれるのが この絵ですね。 しかし これも 日本生まれのマンダラだといいます。

それは やっぱり聖なるものがそこに宿ってるからでこれで当時の人は これがマンダラだって思ったでしょうか?これは 本来のマンダラの在り方からすれば完全に逸脱をしてるかもしれませんけど日本人は そういうかたちでマンダラを受け入れたというか。 江戸時代 「家を継ぐ」という意識が庶民に広がりマンダラは 熊野の神仏に祈れば救われる事を女性たちに説いたのです。 マンダラを前に説法をしているのは熊野比丘尼と呼ばれる女性の僧侶。

ここは多分 二重の意味でマンダラでこういう絵画として描かれてると同時にこの熊野地方全体があるいは 熊野地方の自然がマンダラだという認識がもともとありますよね。 ちょっと強引な言い方ですけれどいわゆる「参詣曼荼羅」が胎蔵マンダラのように世界全体を描いてるとすればこちらは金剛界のマンダラのように人間の内面世界 心の世界を描いてると解釈しても非常に面白いものが見えてきますよね。

25年前 中村さんが立ち上げた生命誌研究館では一般の人にも研究の成果を伝えてきました。 大日如来様。 大日如来様でしょ? 普通はね。 で 大日如来様も そういう事なんじゃないかなと思うの。 1950年代 大学生だった中村さんはアメリカで発見されたDNAの二重らせんに魅せられ生物学の道を選びます。 マンダラに はめていった時に何か 新たに見えてきた地平ってありますか?とても面白いのがね 実はね大昔の人間に感染したウイルスのDNAが ここへ入り込んじゃってる。