木喰が ふるさとの山梨県で彫った観音菩。 木喰仏と運命的な出会いをします。 時として腹立たしき怒りに心を曇らす時木喰の研究を決意した柳は出会いから半年後の大正13年木喰のふるさと現在の山梨県身延町のそれは 木喰が自らの経歴などを記した私は一夜をこの村に明かす事を即座に決心した。 56歳の時 木喰は諸国遊行に旅立ちやがて仏像を彫り始めます。 木喰仏が残る丸畑の寺を訪ねました。
それを記念してふるさとの身延町で木喰の展覧会が開かれています。 それから 大正時代に全国にちりぢりになってしまった5体含め 全部で7体が集結をしておるんですけども木喰の歌のようにまるく まん丸です。 諸国を遊行して 1,000体以上の仏像を刻んだ 木喰。 柳は「宿帳」を手がかりに木喰が訪れた土地を訪ね仏像を探す調査に乗り出しました。 その後 60代には 北陸や関西地方四国八十八ヶ所などを巡ってここには 江戸時代日向国分寺がありました。
これが まさにね木喰仏の祀られる場所「本願」とは 1,000体の仏像を彫って 人々を救う事でした。 今 木喰仏が最も多く残っているのは新潟県です。 本尊の如意輪観音を中心に千手観音や十一面観音子安観音や馬頭観音など合わせて35体が並びます。 年を経るごとに自由奔放な仏像を刻んでいった木喰。 こちらの羅漢さんに関しては木喰さんとこの村の当時の村の人たちとの宴会をモデルにされたという話があります。 大正15年 柳は仲間と共に清源寺の木喰仏を調査しました。