どんなふうに お芝居に利用されたんでしょうか?第一幕はあそこの教室で演劇をしてそれが終わったらお客さん こう歩いて移動してで 下の中庭が第二幕の舞台なんですよ。 菅原さんが 岡山県内で劇団を立ち上げられたのがかわいらしい響きなんじゃないかなと思います。 しかし特別養護老人ホームで働き始めてあと 新聞を読んだり テレビを見たりとかしてるわけですよね。 こちらの空間のように地域の中にある建物を利用してしかも 出演される方も岡山県内の方だそうですね。
しかし 実際に演劇ワークショップを体験して頂くと発表の時に ものすごい生き生きと演技をされるんですね。 そこで菅原さんは劇団 OiBokkeShiの一員になってほしいと依頼しました。 かなり 岡田さんは俳優としての意識が高くなってきて最近は 「舞台の上で死ねたら本望だ」って言ってるんですね。 岡田忠雄さんという人材を得て第1回の公演へ向かうわけですけれどもどんなふうにして 岡田さんと芝居を作っていかれたんですか?そうですね。
劇団 OiBokkeShiは第1回公演からそんなふうに 地域密着型でいこうと思われたんですか?はい そうですね。 やっぱり 介護と演劇を結び付ける事によって地域の方々が 参加してくれたりあと 介護に関心のある方々演劇に関心のある方々が集まって下さったんですね。
こういう自然な形で デイサービスとか介護予防というのが含まれてたらこれは 理想なんじゃないかなというのは思いました。 だから僕は 介護の現場で認知症の人を前にして演技をして祖母 正子さんとの暮らしでした。 それが 僕の老い認知症というものを感じ始めたそうすると?そうすると おばあさんもあんまりいい顔はしないですよね。 その時は 認知症って怖い病気だなと思いましたね。 認知症は 怖い病気だなと。
介護者は 俳優になった方がいいというのはこれは老人ホームで働き始めてからしばらくして考えた事だったんですね。 例えばですね老人ホームの廊下を歩いているとあるおばあさんと すれ違うんですけども すれ違う時にこの時に 僕は介護職員として俳優になっても いいんじゃないかなと思ったんですね。 それは記憶障害とか 見当識障害といって 中核症状があるからこれは しかたがないわけですね。
認知症の人って 人が変わったように 見えるかもしれないけど間違って 傘を持ってしまったのかもしれない。 その認知症のお年寄りは「私は 人の役に立てた。 最近は 認知症の方への接し方など番組を見ていましてもね老人ホームで働きながら しかも演劇も やってらっしゃるのでそれは大きな事に気付いたからですね。 認知症の人っていうのは 確かにいろいろな事が できなくなるかもしれないけれども今 この瞬間を楽しむ事ができるという事に気付いたからですね。
仕事がなくなった時っていうのはやっぱり つらいですから自分に合った仕事を見つけるまでは大変な思いをするかもしれないけど何か一つ見つかればそのレールに乗ればだいぶ 今の状況とは変わるんじゃないのとかいろいろ相談に乗ったりはしてたんですね。 僕は 演劇と出会ったり介護と出会ったりして人見知りで声が小さいところなんか似てるんじゃないかなと思います。 というのもワークショップ第1回目やった時に岡田さんが参加してくれてその時に 「あっ この人と一緒に芝居しよう」と思ったんですね。