今 ニッポンの世代論はどんな事になっているの?今宵は「世代論」をきっかけに自由なトーク。 更に 「サピエンス全史」で 文明の構造と人類の幸福を説いたユバル・ノア・ハラリが次世代に警鐘を鳴らす!超高齢化社会の進む中「ゆとり」 「さとり」とレッテルを貼られた若者たちの本音とは…?「団塊ジュニア」から 「さとり」まで話せば分かるか。
日本が豊かになって 初めて「一億総中流」っていう言葉が出来て大体 日本が みんな同じだよねってなったタイミングで初めて じゃあ どうやって日本人を分けましょうかって時に若者論だとか この世代論が流行したんですね。 それは 一企業で考えてもいいし日本社会で考えてもいいしやっぱ その民主主義国家である以上数の論理には やっぱりどうしても勝てないからちょうど 「ホモ・デウス」って最近 翻訳出た本ありますけどあれにも 何か面白くて。
一つは 例えば起業なさってる方とかそれから 情報関係に勤めてる方がそうですけれども簡単に言えば日本人であるよりはそういうアイデンティティーを持たなくて海外と パンパン パンパンやり合えるようなそういう人たちっていうのはモノとかだけじゃなくてヒトそのものが 激しく動く。
だから みんな一生懸命 持とうとして職業訓練学校があったりいろんな講座ものがあったりするのは自分に何か 何とかかんとか2級とか身につけたくて一生懸命 それなりに努力をしてる。 だけど それでも救えないっていう時に どういうふうに社会が包摂性を もう一回確保すんのかっていう事をどんどん どんどん変わっていく世の中に対して最低限の保障が欲しいとか変な話食いっぱぐれたくないとか自分の個性を信じられないという話ってすごく もう誰もが そこって持つ事だと思うんですよね。
その人は日本銀行に就職していく人だったけれども「先崎君 次の時代はITの時代だ」という事をしきりに言うわけね。 次の時代にこれが来るっていうのにいろんな本を読んだりとか社会の動向を見て 気付いてからマーケティングして次は これだって やるって事は社会に半歩 遅れてるのね。
なので その時は だから当時 地方創生っていう言葉すらなかったんですけれども自分の感覚として ああ 六本木銀座よりも 小布施の方がかっこいいかもと思ったんですよ。 それよりも 私は この長野県というところに生まれてここで育っていくのは当然でありそして この一つで他人から何を言われようとこの農作業 八十数年間作ってきた事が長野県で見た光景っていうのはね。
でも そこって必ずしも住む場所うんぬんじゃないと私は思っていて 例えば私 今長野県の小布施っていう町で新事業を創造していくっていうプログラムを学生たちと一緒にやってて今日も そこから来たんですけど例えば 週の半分は長野県の小布施に住むけど週の半分は 大学行きがてら東京にいるみたいな学生とかいるんですよ。
まあ 1つ目 リーマンショックは仕事に命を懸けて24時間 戦えますかの世界でやってもあのエリートサラリーマンたちが段ボールを抱えてビルから 吐き出されていくんだというのを見た時に仕事一本に懸ける事への不安というかあ そういうのって 必ずしもエリートサラリーマンの勝ち組じゃないんだというふうに思ったのがやっぱり すごく大きかったっていうのが一つとあと もう一つは やっぱ東日本大震災があった時に例えば 自分の親とかってもう 仕事 すごく頑張って定年後に 家族大事にしようとか定年後に こう 盆栽みたいな趣味やろ
でも 一方で そのテクノロジーのお話でいえばプログラミングの能力さえあればもう大学行かなくてもいいとか一部の天才にその活路が開かれているしそれこそ その教育にしてもYouTubeの動画とかで世界の最下層の子供たちであってもちゃんと その一流トップ大学の授業を受けられたりとかそういう可能性もね 広がってるんじゃないかなと思うんですけど。 世代間の格差は 年齢ではなくテクノロジーと どう向き合うかで決まるのか?テクノロジーは選択肢を与えてはくれますが決定論ではありません。
要するに昔というかその団塊の世代からの戦後の日本というのは学歴社会といわれてるけど東京にねレベルの高い大学とされてるのがある理由っていうのはそこで学歴を身につけるっていう事は自分のステータス ステータスっていうのは 何かっていうとどこに移動しても 「自分は丸々大卒です」という事が言える大きなアイテムだったわけ。
今の話の例でいうと企業が もっと大企業になってもっと大きな規模になってもっと大きな規模になってというふうにまあ よく会社である事だけど来年度は 目標120%って決めて達成するとそこで終わるんじゃなくて更に120%ってカエルの体の大きさしかないやつがウシになろうとして 膨らんで破裂したと夏目漱石は言ったがそれと同じようにこの国は もしかしたらカエルぐらいのくせをして空気をどんどん吸い込んででかく見せようとしてる可能性があってそこのところが 今日何回か偉そうに言ったけど価値感とか 人間観というより日本人が お
まあ世代論でいっても 単純に高齢化社会が急速度で進んでいくという事は健康寿命以降 生きる人たちが大量に増えてった時にそこに 老老介護だけじゃ無理になってきた時にねもともと 世代論は何で はやったかっていうと若者が 日本ってめちゃくちゃ多かったから彼らに対して いかにモノを売りましょうとか彼らを どう社会がどう扱いましょうって事に若者論が 広まったわけですけど今 若者って 人口的にもすごい減っちゃったから逆に その高齢者圧倒的に人口の多い高齢者をじゃあ どんなふうに何か社会としてつきあっていきましょうって意
いや でも何か その世代論ってそれこそ 私たちなんてさとり世代とか言われてるぐらいなので自分が 新世代だっていう感覚でしゃべりがちなんですけれども何か やっぱ 日々学生とかと接してるとどんどん どんどん新しいほんと ネオ新世代みたいなのがきてるなっていう感覚があって例えばなんですけどこうやって しゃべってても目の前でLINEとか平気でするんですよ。