安積先生は 大学出られましてで それから 2015年の3月に定年になってそれまで それこそ40年以上も高校生中学生…まあ 日本の若い青少年子女を対象に教育に 携わっていらっしゃったわけですがそれから しばらく日時がたったわけですけれどもそうですね 15年の3月ですから今から 1年ちょっと前ですか久しぶりに東京に戻ったわけですね。
それは要するに結局 本来は自分が引き負わなきゃいけない自分たちが引き負わなきゃいけない課題とか重荷未解決問題を 全部 次の世代に渡してるんだっていうこれはね… まさに こう本当に 心の中にある苦しさを叫びのように言ってる内容だったと思って私は 本当に深く問われたしこれに応えられるような生き方しなきゃいけないと改めて思ったんですね。
ところが 辺境っていう言葉に近い言葉でアメリカの西部開拓史時代に生まれた言葉だろうと思うんですがこれは むしろ 人間の力の限界今の力の限界の領域を指す。
その時に 本当に 大学時代に「聖書」の真理に捉えられて存在を委ねて 赦されて生きる世界っていうのを知った事が本当 恵みで 「祈りの世界」って言ってもいいんですがそういうところに立った時にもう駄目だって 逃げようって何か 不思議としか言えない思いがけない出来事が起こってくるっていう経験をいっぱい いたしました。
恐ろしい凶器に変わるものでだから 雪崩で死なれる方が本当に多いわけですけれどももう その男子生徒と教師はもう必死で それをかき分けるっていう事をやってやっと掘り出したんです。 それから彼 1年生なんですがある文章を…これは 「クラス通信」と言いまして親御さんたち みんな外ですので親御さんたちに向けて出すクラスの通信を担任の先生が出されてで その時に いわば「最近 思う事」みたいなテーマでみんな なるべく率直に自分の思いを書くっていう。
で 彼ね 彼もね 独立学園は 感話というのを読むんですけどもこれは 朝夕に礼拝やりますから教師だけじゃなくて生徒も輪番で持ちまして1年に 4~5回自らの内面を語るっていう形の感話を読む場面がありましてね。 「もしも あれが 僕の中での最初で最後の出来事だったとしても今 僕は はっきり言える。 すごく それを… そう思って神様のなさる業って 私は言った時に 自分の中にストンとこの出来事が 真実が落ちるという自分になってしまいましたね。
あの~ ええと… 私 キリスト教学校の校長として招かれて必修コースとして持ってる学校の校長に私は 2つの学校でなりまして都会の学校とあと独立学園でした。 「受験勉強しない」という事を公言してる学校なんですけどもでも 不思議とみんな大学に行きたくなって高い志を持って どこかに入っていっちゃう学校なんですが。
大きいもの 小さいもの抽象的なもの 具体的なもの全て書き出せるだけ書き出せ」っていう これが第1の課題。 それでね この課題はねいわば ほんとは独立学園の生徒でも問わなきゃいけない問いだってものすごく 今 思います」と。 彼らは みんな「3.11」と「福島」を経験してますし独立学園は 福島から直線距離で 130km圏内ですから。
10月という年が秋の保護者会っていう年でして。 3年生の時 最後の保護者会になります。 いろんな…ご両親だけじゃなくてそれこそ一族郎党で来られたりして本当に にぎやかな楽しい保護者会なんですが。 そこに 教師も全員保護者たちの方も 全員 座ってそして そこで 教職員と保護者の懇談会っていうのを開きます。 そのあとに 一人一人の保護者が応答の時間になりました。