第48回NHK講談大会

戻る
【スポンサーリンク】
15:27:38▶

この番組のまとめ

最初にお楽しみ頂きますのは神田陽子演じる「炎の歌人与謝野晶子の生涯」。 明治時代恋と短歌に情熱を注いだ与謝野晶子の生きざまを描いています。 大阪の和菓子屋の娘として生まれた晶子は文学の会で歌人 与謝野鉄幹と出会い恋に落ちます。 この鉄幹を巡り女流歌人 山川登美子との間で恋の争いが巻き起こります。 この人が生涯の伴侶となります 与謝野 寛与謝野鉄幹でございました。 山川登美子君です。 この人が晶子の生涯のライバルとなります山川登美子 その人でございました。

ついに 晶子の手を取りうちを飛び出しましたものの「晶子! こうなったら 一か八か賭けだ!君の歌集を出そう」と言ってたちまち 与謝野晶子という名前は独り歩きを始め新聞社や雑誌社から仕事の依頼が殺到いたします。 ところが 鉄幹の方はといいますとただ 与謝野晶子の夫としてしか知られず次第に 次第に 訳もなくかんしゃくを起こしましたりぷいっと うちを飛び出すようになります。

関ヶ原の合戦の前徳川家康は豊臣家ゆかりの大名7人を味方にしようと家臣 本多佐渡守正信に茶会を開かせます。 ところが 細川忠興以外の6人は茶の湯の作法をまるで知りません。

…と福島正則「あいや その詰客 この福島正則…」。 細川忠興を先頭に本多佐渡守の屋敷へと…。 「佐渡 招きによって参じたぞ」。 細川忠興 ご挨拶。 後に続いて 加藤清正が「なるほど。 続いた 加藤嘉明が黒田が「佐渡 招きによって参じた」。 さあ 先頭に立った 細川忠興。 さあ これを見ました 加藤清正がこの方が ぴょこっと 右へ曲がる。 加藤嘉明が ぴょこっと。 みんな ぴょこぴょこ曲げだしたもんですから最後に控えた 福島正則。 やがて 茶室に入るというと細川忠興が「佐渡 よい 煮えであるな。

やがて 本多佐渡守ふくささばきも鮮やかにまあ 茶をたてましてねこれは まあ 細川忠興はこれはもう慣れてますから…。 ところが細川忠興この福島正則の嫌な顔を見ちゃった。 これが回り始めました途端にクルクル クルクル クルクル クルクル座ってる一同の前を クルクル クルクルクルクル クルクル クルクル。 その朝鮮の役勲功を上げられし方々様には何の恩賞の沙汰もなく功なき石田三成は厚き布を身にまとい七十五丈の高みより命からがら逃げ出したる臆病者にござりまする。

続いては今年 真打ちに昇進いたしました講談界の新星2人をご紹介いたしましょう。 続いては 神田山緑さんです。 数ある才能を持っておりましたこの男こそ神田山緑でございます。 さあ この山緑 サラリーマンからそして経営者へと華麗なる転身をしてまいりましたが神田すみれの講談を聴きました時に「これだ! 講談には宝の山がある」とこう考えましてついには 5度目でようやく入門が許されました。 …ではございませんで神田山緑の高座で聴いて頂ければと思います。

え~ 旦那の徳兵衛を 10万坪の底なし沼に誘い出しました お百。 徳兵衛の目と鼻の間を ポカ~ン!くず屋になった今のお前は私にとっちゃ 足手まといさ。 今し方 徳兵衛が沈んでいった水面その真上にボ~ッと青白く光った人だまが…。 物見 物見」と呼ばったれば濃州恵那郡 水晶山のあるじ御高5万石取り 蘭丸長康。 二間柄返しの槍を小脇にかい込むとタタタタタタッと駆け来たったる本堂が正面。 続いては 神田松鯉演じる「太田道灌」。 江戸城を築城したことで有名な武将太田道灌 若き日のエピソードです。

あっ ついでだから申し上げておきますけど巣鴨の本妙寺さんに…私は三代目なんですけれども初代と二代目の神田松鯉のお墓がございます。 言われた時に 少年の道灌公が「お父上 ちょっとお待ち下さいまし」。 何べん声をかけても返答がございませんでしたから道灌公が がっかりとして「ああ… 無駄なことをしてしもうたわい。

相手の返事がございませんから怒り心頭に発しましたがなぁ 道灌公が地べたに たたきつけたのでございました。 まあ えらく ここで 道灌公が後悔をするんですなあ。 道灌公が 江戸に戻ってまいりました…なんと この時に 日本一の歌詠みと評判が立たれるようにまで成長をしていたのでございます。 当時 京都におわしました一天万乗の大君時の帝 後土御門帝が「武蔵野という所に太田道灌という歌詠みが誕生したということであるからもちろんご尊顔を拝すってわけにいかない。

時に天正18年 太閤の命によって神君家康公が町づくりをするんです。 そこに家康公が駿河国から来た連中たちを一緒に住まわせたってぇので「武蔵野は かるかやのみと思いしにかかる言葉の花ぞ咲くらむ」。 有名な太田道灌公 一代記のうち「山吹の戒め」という一席この辺で失礼をいたします。 物語は 松五郎が奉公に出る子供時代から始まります。 これは爛熟した江戸末期文化年間のお話でございまして。

僅かばかりの金品 商売物の呉服物これをくれた。 さあ これからというものはね親が残しました 鋳掛の道具。 これを 肩にすると「鋳掛~ 錠前直し 鋳掛〜 錠前直し」。 四谷 赤坂 麹町 本郷 牛込 小石川どうも 山の手ってえ所は 肌に合わねえ。 6月の下旬無論 これは講釈ですから 旧暦ですよ。 相変わらず 鋳掛の道具を肩に「鋳掛~ 錠前直し名代の両国橋だ。 欄干の所へ来るとねしょっていた鋳掛の荷物 下へ置いて着ておりました鳥羽の着物の前をね はだけてね時折 下から ス~ッ。

「おい お前がね だだこねるもんだから鋳掛屋の親方見るに見かねてお前に下駄買ってやれってお足 おくんなすったよ。 ぬらした手拭い 首っ玉の後ろ ほれこれ載っけて お天道様あっちっちごめんよって来たんだい。 うさぎみてえにぴょんぴょん ぴょんぴょん跳びはねて途端にね 橋の下だドンチャン ドンチャン ドンチャン ドンチャンえらい騒ぎだ。 お天道様 天は ひょうひょうとしてまごとを照らすってますがね涼しい思いをしているのは侍 物持ちばっかりじゃありませんかい!う~ あちい。