ETV特集 アンコール「自由はこうして奪われた~治安維持法 10万人の記録〜」

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この番組のまとめ

大正時代末期に制定された治安維持法。 第一条には「国体」すなわち天皇制の変革や「私有財産制度の否認」を目的とした結社を作り加入した場合10年以下の懲役または禁錮に処すとあります。 共産主義社会を目指す世界初の政権を樹立しました。 大正デモクラシーの中権利意識に目覚めた人々の間に共産主義の思想が徐々に広がっていきました。 政府は 普通選挙法の成立を間近に控え共産主義が勢力を伸ばすことを恐れていたのです。 当時の司法大臣 小川平吉は治安維持法の目的を次のように述べています。

治安維持法による検挙者は三・一五事件の翌年以降も増え続け1933年には1万4,000人を突破します。 1928年 国会に提出された治安維持法の改正法案。 通称 「目的遂行罪」です。 その記録を調べてみると起訴された教師たちは全員目的遂行罪に問われていた。 こうした活動が目的遂行罪にあたるとされた。 治安維持法の改正で 目的遂行罪が盛り込まれた背景にはしかし 国会に提出された改正法案は審議未了で廃案となります。 治安維持法違反に問われたのは弁護士でした。

この時期 内務省は治安維持法に違反した人のうち8割を転向させたと報告。 共産主義とは無縁の立澤さんも転向を表明させられていた。 移民政策を打ち出した政府にとって柱の一つが「満蒙開拓青少年義勇軍」だった。 長野県からは 全国で最も多い6,216人の少年が日本国内の検挙者は把握できただけで6万8,332人。 当時 朝鮮の学校では日本式の教育が徹底され朝鮮語の使用は堅く禁じられていた。 松本さんは 自白を促され共産主義を信奉したと手記に書くよう命じられた。