まあ その米朝がどこに住んでたかといいますとね尼崎市武庫之荘というとこでございましてず~っと そこで暮らしてました。 関西が一つにならない一番の原因がもう 本当に 微妙な意識で これはNHK「上方落語の会」でございますけど「上方」という言葉も微妙でございますね。
置きなはれ!おまはん 知るまいがな 今 そこへ腰掛けて その茶碗で お茶を飲んでた人この京都のな 衣ノ棚に住んでる茶道具屋 金兵衛さん。 人呼んで 茶金さんという有名な道具屋じゃ。 京一の道具商じゃで。 ええ? 京一の道具商ということは日本一の道具屋さんじゃ。 一つ間違うたら 千両代物という…とっとっとっとっとっとっとっとあ~っ 売る 売る!ほんまに割るで あの男。 道具屋の手代という風情で衣ノ棚へ やって参りまして…。 「風呂敷 どうでもええねん!中の茶碗!」。
「あんたに見てもうたら千人力や!5百両 千両ちゅう茶碗だすさかいな」。 「あんたな 3日ほど前清水さんの音羽の滝の前の茶店でこの茶碗でお茶を飲んではりましたやろ!」。 あんたな この茶碗でお茶を飲んだあと 中 のぞいたり裏返したり 日に透かしたりせんど 首 ひねって『はてな?』ちゅうて置いて帰ったんや。
ほんなら この茶碗…」。 茶金さんぐらいの商売人になりますと随分と ええ所へも出入りをいたしまして ある日のこと茶金さん 早速 人を走らせまして茶碗を取り寄せます。 「はてな? 面白き茶碗じゃ」。 「清水の音羽の滝のおとしてや茶碗もひびに森の下露」という「もぅし お聞きになりました?茶碗の話」。 「茶碗が漏ります」。 「お聞きになりました? 茶碗の話」。 「茶碗が漏りますの」。 さあ 茶碗が見たい。 茶金さんも 精進潔斎でございます。 桐の箱もさらのものに新調いたしまして御所へ茶碗を運びます。
「はてな? 面白き茶碗である」。 当時 日本一の金満家 鴻池善右衛門。 「茶金さん その茶碗 売っとくれ。 その茶碗でな茶会がしたいがな。 うち 両替商 やってるやろ?両替商 やってるさかいなうっとこから あんた 千両借りて。 ほいでな 抵当としてその茶碗を預かる。 これやったらええやろ?抵当として預かるさかい 千両借りてほいで はよ 流そう」。 「誰や 誰や 誰や! 引っ張んの!茶金さんとこの丁稚衆さん。 さすが 京都の商売人」。 とりあえず この5百両持って帰んなはれ」。