先人たちの底力 知恵泉「ブレないことがカッコいい 白洲次郎(後編)」

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この番組のまとめ

昭和26年9月8日サンフランシスコ講和条約が調印され日本の独立が世界の多くから承認されたのです。 この白洲次郎のブレない姿勢をGHQの高官は……と評しました。 でも どうしてカレーなんですか?これね 実はですね白洲次郎が食べていた白洲家のレシピを再現したカレー。

次郎が政治家や官僚ならさほど問題にならなかったかもしれませんがGHQとの交渉役を引き受けた頃次郎は 東京郊外に暮らす農夫。 と同時に 内需拡大に力を入れ国内産業の育成を推進している商工省を貿易立国の推進を主軸にした通商産業省に変えてしまうというものでした。 一方 次郎の動きを知った商工省の事務次官も黙ってはいません。 永山は「役人でもない白洲に商工省の何が分かる」と義憤に燃え次郎の部屋に乗り込んでいきます。

ほんとに その中から日本が豊かにっていう復興を考えた時に加工貿易 これが絶対日本人には合っている。

それを インパクトがあった方がいいし創刊だし 創立だしということでなので 出す時にはバンと出すし新聞の全面広告を取って「文芸元年 歴史はここから始まる」というようなちょっと大層なタイトルもつけさせて頂いてとにかくインパクトを求めて自分たちの志が見た瞬間に ひと言で分かるようなものというふうな意味合いでやってきました。 最初にね 軽井沢のゴルフクラブに高校生の頃 行って見たら ジープからゴム草履 履いた カッコいいオヤジが降りてくるじゃないですか。

この倶楽部のメンバーには 歴代の首相や大企業の会長 名家の人たちが名を連ね数あるゴルフクラブの中でも名門中の名門といわれています。 この正義感こそ 次郎が若い頃にイギリスの留学生活で学んだプリンシプル「原理・原則」からくるものでした。 もともと イギリス人は昔からこうやるという「原理・原則」を決めたら貫き通すという気質があり かつてナポレオンやヒトラーを相手にした時も一旦 戦い抜くと決めたらどんなに苦しくとも プリンシプルを曲げることなく突き進んできました。

実るほど 頭を垂れる稲穂かなでね地位が上がった時に白洲が よく言ったのは あいつらねその経済人とか政治家にあいつら たまたま今権力 手に入れてるくせにねそれが自分の能力だと勘違いしてふんぞり返ってやがるってよく言ってました。 顔 上げたまえ」なんて言うんですけどペコペコは自分のためにやってるペコペコで相手をおもんばかって ペコペコよりもその場の空間がいられないからすいません すいません すいませんと何が言いたいのかよく分からなかったりしますから。