こころの時代~宗教・人生〜「反骨〜中村敦夫の福島〜」

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この番組のまとめ

東日本大震災と福島第一原発の事故をテーマにした たった一人の朗読劇です。 なんせ 35年間も福島原発で配管技師として働いてきたんだから。 与えられたのは福島市伊達東のグラウンド跡に応急で建てられた仮設住宅だった。 責任者を探して責任を取ってもらうということを やらないと責任を放棄したことになるんだ」という意味が込められてるわけですよね。 戦時中 いわき市に疎開し小学校1年からの10年間を過ごしました。 まあ 小学校時代はまあ…生徒会長とか ずっと やっててね。

だから 日本の映画界ではまあ 寅さんか 若大将か「網走番外地」じゃないともう駄目だという範囲の中にはどうしようもないわけですね。 アメリカでは 既に ニュースキャスターが大きな社会的影響力を持っていました。 ですから ただのアナウンサーじゃなくてやっぱり人格を持ったキャスターが当時は ベルリンの壁崩壊やソ連のペレストロイカなど時代の大きな転換期。 そこでもずっと主張し続けてきたけれどもで 基本的には 私は 表現者として全うしたいと思いつつも最終的な決定権っていうのは政治家が持ってるんですよね。

一つ一つのことは あるけれどもこれじゃあ その 知識がバラバラになって結局 全体的に誰が悪いんだ誰が責任取るんだ どうしてこんなことになるんだというねそういう構図が 見えないんじゃないかなというふうに感じましたよ。 原発事故から2か月後 中村さんは自分が育った いわき市を訪ねます。 随分 浸水しまして それで犠牲者も出て30キロ圏内で 原発の影響もありその後 中村さんは 原発に関する本や論文などを 徹底的に読み込みました。 中村さんが取材した原発の過去や被災者の思いを主人公の人生に重ね合わせています。

唯一の希望は 内閣府直属の原子力安全委員会だけだったんだな。 田畑付きの でっけえ農家でな1~2年したらよ ここさ引っ越して夫婦で 小せえ規模の有機農業をやるかっちゅう計画だったんだ。 福島第一原発から40キロ離れた飯舘村にも放射性物質は容赦なく降り注ぎました。 17日の夜だったかな 飯舘村・長泥地区の炊き出しを手伝っての帰り道俺は 連中が何してんだか分がったよ。 線量が高えことが分かってから飯舘村の住人 6,300人のうちぐれえは 自主避難したんだ。