こころの時代~宗教・人生〜 アンコール「捨てられた石が礎となる」

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この番組のまとめ

京都市北部緑豊かな山里 岩倉は平安時代 もののけにつかれた皇族が療養して以来精神医療と深く関わってきました。 戦後間もなく建てられた…精神疾患に苦しむ人たちと向き合ってきた医師がいます。 一度かかってしまうと治りにくい精神疾患。 また回復してきたとか 自分で減点じゃないプラスの練習しないと。 開放医療では通常 鍵がかかっている音楽の事とかも パソコンとか使えたら確かにね 便利ですけどね。 そういう根の深い不信感がありましたね。 不信感。 不信感ですね。 不信感は根が深かったですね。

自分が応援できる人が見つかったなというかそのころは あの 大学の頃はあそこのハンセン病のところ2回ほど行ったりとか。 今も勤める京都市岩倉の精神科専門病院でした。 私は女性の入院病棟に配属されたんですけどえっと…その奥に 更に鍵がかかっててそこが3つの保護室病棟なんですけどそこは 入ると もうレッテル貼られた人たちが保護室に入れられてるんです。 そうやって 烙印押されたらそこまで基本的な権利が奪われる事は許せないというねそれは 悲鳴みたいなもんですね自分の。

病院で働き始めて1年 崔さんは他の若手医師と協力して病棟開放の試みを始めました。 中身は ご自分とか周りの人とかいろんな人と一緒に社会のネットワークの中に入って時には 就労したり遊びに行ったり旅行行ったり。 ある立派な方がいるんですけどその方は1か月間ちょっと他府県の精神科の病院に入院したんですけど奥さんに電話するのも医者の許可がなかったらできない。 その後 徐々に「あれ 同じ人間か」というふうに何か月もかかってやっとご自分でね 自分の病気を受け入れられたんです。

2人は 自治会の中心メンバーとして開放医療が始まった当初から崔さんたちと話し合いを続けてきました。 あれですか 病院の開放とか関係なしに「岩倉」というだけでそういうふうに見られがちな子供時分にそういう感じはありましたね。 トラブルが多発し地域に不安が広がる中病院のスタッフは対応に追われました。 更に 病院と地域の人たちが開放医療の在り方や再発防止を話し合う委員会も設けられました。

私どもの病院の中も若い女性も きゃしゃな女性もみんな 24時間で勤務しているわけですからその 事故が起こる確率というのは実際は あんまないしそれから 病院の中には保護室だとか 注射とかそういう仕組みで治療する空間がちゃんと物理的にもありますから。 「迷惑をかけない開放医療をやって下さい」夜中に行って2時間ぐらい回ってとか頼んだやつは いらんとかね。 一人一人の尊厳を守る開放医療。 それを実現するための病院と地域の人との対話は40年以上たった今も続いています。

でも みんな 長電話じゃなくってすぐに 何しろ声を聞いたらそれで もう 全部済むっていう感じなんです。 そしたら 自分の心に差別だとか違和感ないとか言いながらついつい 子供をグッとねした事があって。 急場 いよいよ困った時は電話があるというのは長島の愛生園に通うようになって阪大の教授と結婚したあとも通ってられるんですけどうめくような形で行ってられるわけですよ。 そんなのに比べたら別に 電話番号 出すのはね…。