新世代が解く!ニッポンのジレンマ特別編「五木寛之×古市 いまジレンマを語る」

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この番組のまとめ

でも五木さんの この活動を見てると本当 幅広いなってことを今回改めて思ったんですけどもともとは その CMのCMソング書いたりとか作詞とか小説家になる前はそういうお仕事されてたんですよね。 「小説家というより時代の表現者」と自称する五木。 割と 画家とか演劇人とか映画人とか関係なく他ジャンルの人たちがしょっちゅう交流があったんです。

ちょっと一緒にやることでアイデアが生まれたりするような場所でだから 学者も音楽家もいろんな人たちが集まってね自由に語り合うような そういう場所があちこち あったんですけど海外渡航が自由化された翌年 1965年に五木が向かったのは ソ連と北欧。 ソ連の若者カルチャーのただ中に身を浸した体験が小説デビュー作「さらばモスクワ愚連隊」を生む。 そのバックグラウンドの上で物語 進めてるからそれはもう二度とかえってこないものですからね。

なんかね 例えばまあ今 そういう ちょっと…しゃべるほうが情報量が圧倒的にね多いですもんね文字だけよりも。 五木さんの昔の それこそテレビのNHKのアーカイブにいろいろ あるんですよね。 表現の長距離ランナー 五木寛之は時代と向き合う中でどんな言葉を残してきたのか。 それで私 まあ例えば歴史小説を仮に書くとしても資料っていうのは一級資料であっても信頼したくない。

何かひと言で君たち みんなを満足させてねその言葉を信じて生きていけばいいというふうな言葉を僕は発見しようと思って一生懸命 生きてきたけども今のところ残念ながらそういう言葉に ぶつかってないんだと。 むしろ古市さんなんかがこの間「文學界」に小説書いておられたけどねああいう小説を例えば もっと徹底して風俗小説風に書いたりしたらそっちの小説を読んでるほうが歴史っていうのは空気として分かるんじゃないかしら。 あの中にだって固有名詞が出てくるでしょう。 固有名詞が いっぱい出てきますよね。

それがコミュニケーションの部分にもあらわれてるなと思っていてやはり私も五木さんが おっしゃるとおり肉声でのコミュニケーションっていうのが一番伝わるのにでも 今の若者ってスマートフォンでメールで 文面上のやり取りでコミュニケーションがとれてるっていうような認識が強いと思うんですけどもこの現状について どうお考えですか?僕は 時代はそういうもんだと思いますね。

僕はやっぱり 自分が生まれるんだったら幕末とかね そういう時代に敗戦をきっかけに五木さん自身の価値観ががらがらがらって崩れたってこともじゃあ あんまりなかったんですか。 最近 孤独ってことがしきりにね 言われていろんなインタビューなんかもそういうテーマで多いんですけども誤解してる点は 孤独っていうのは独りでいると思ってるんですよ。

自分の手は汚れてる という感覚は少年時代から あったからいわゆる青春期と言われる中でも本当に幸せだとか その青春を謳歌したって記憶はないんですね。 で あの これ 建築学会の方からこの間 話の中で聞いたんだけど戦前っていうのは湿式工法って言われて「湿式」 湿ったやり方ね 工事の方法が。 戦後はね それがね乾式建築っていうふうに乾式工法っていうのに移動してきて水を使わずに住居も建てられるしビルも建てられるっていう。

映画なんかも あれだけ映画がまあ その 全盛期を過ぎてそれで もう末期的な症状になってると言われつつ今 日本映画なんかはすごく活気があるじゃないですか。 今 出版界は不況だっていうんだけど…何でもね 大量生産 大量消費で本出せば売れる時代があったりしたら出版人なんていうのは やりがいがないじゃないかっていうのが意見ですよね。

古市さんは どうでした?悲観的なんだけどでも ぎりぎりのところでやっぱり人間とか 世の中ってものを信じてるというかそれにベットしてるんだなっていうのをすごい感じましたね。 根っこでは すごい…もちろん そんな楽観的には全部うまくいくとか言わないんだけどでも究極のところでやっぱりそれが愛情なのか 何て言ったらいいか分かんないですけど他者に対する その信頼みたいなものがあるんだなってことは すごく感じました。