三木 清の「人生論ノート」。 執筆直前に妻を亡くした三木は人生論を「死について」から書き始めます。 そんな状況にあって三木が「人生論ノート」で一番 最後に取り上げたのは「希望」でした。 「死について」の考察から始まった人生論がなぜ 「希望」で締めくくられたのか。 ♪~「100分de名著」 司会の…さあ かなり かみ応えがありました 「人生論ノート」。 その「人生論ノート」のしょっぱながこんな感じなんですね。
「執着するもの」というふうに書いてますけどもこれは具体的には 三木は何を想定してるんでしょう?恐らく 一人娘の洋子さんだっただろうと思うんですよね。 「人生論ノート」の連載が始まったのは喜美子夫人の死から1年後の事でした。 「人生論ノート」が刊行された翌年三木は徴用されフィリピンで従軍します。 しかし帰国すると 既に三木に言論発表の場はなく娘と二人 埼玉に疎開します。 三木は 逃亡犯をかくまった罪で逮捕されるわけですね。
ですからいわゆる 「歴史修正主義」を三木は 厳しく批判していたんだと思います。 現代でも 南京虐殺やホロコーストはなかったとかそういう 歴史的な事実に対する解釈が多々あるわけですけども……という事を三木は考えていますしそれが三木の独自な歴史観でもあり同時に死生観であるというふうに考える事ができます。