世界一のランナーと たたえられ日本男子マラソンの黄金時代を支えた。 現在はマラソン強化戦略プロジェクトリーダーとして全国を飛び回る瀬古。 宮本武蔵だとか 新田義貞とか日本武尊とか そういうね…そういうもんだと思ってたんですよ。 小さいときは 何になろうって思ってらっしゃったんですか?山川惣治っていう人の挿絵を見て…アメリカのスターにファンレター出すとか。
だから マラソンはテレビの番組の中で一番好きなんですよ。 ところが…おお…!そしたら 人に聞いたら「あのビルディングの中のどっかの一室がゴールだ」って言うんですよ。 そのビルディングに飛び込んでエレベーターに乗るんだけども何階にゴールがあるのか分からないんですよ。 1960年代から半世紀の長きにわたり刺激的な作品を発表し続ける横尾。 やっぱり…だから…今 横尾が作品を発表する主要拠点は世界のアート通が集まるニューヨークにある。 今年9月 マンハッタンのチェルシー地区で開催された個展。
だから いつも…今日は嫌いだったから明日は好きになるみたいな?その好きが通り越したらまた嫌いになるみたいな一枚の絵の中で…先生は ライバルっていうのはいないんですか?ライバルっていうのはね 例えば…おお きましたね!すごいな~!…をライバルにしたいですね。 世界中全部同じ値段でなきゃいけないんだけれども今の僕の主要ギャラリーがニューヨークになってるので。 俺完璧 目指してやってきたから駄目だったんだなオリンピック。 だから モスクワのオリンピックがボイコットされて よかったんですよ。
1.5キロあったんですけど走って こう 行ったら先生とか 用務員のおばちゃんたちが「瀬古さん」「瀬古君 瀬古君!」とか言って追いかけてくるの。 早稲田大学入学後 瀬古はマラソンに挑戦。 じゃあ 中村監督が「餅を3個食え」って言うと瀬古さんは餅を3個食っちゃうんですか?全部 言いました。 だから その素直さがその後のマラソンのいろんな局面でその素直な気分が出てこないとまた 駄目なんでしょ?まあ 素直というか…。 とにかく 私のライバルだった宗兄弟っていうのがものすごい練習する人だったんですよ。
瀬古さん その…トップで走るっていうことは先導者よりも ちょっと いつも…最後の… トラックだと最後の1周だとか200メーターで いつも バーンと影響するんですか?やっぱね「頑張れ」って言われるのとし~んとしてるのじゃ やっぱり…ああ そうですか。 ランニングハイみたいな状態ですか?ああ そうですね。 ランニングハイもそうですし。 そういうときはすごく気持ちいいんじゃないですか?本当に もう ずっとランニングハイっていうのは5分とか10分ぐらいしかないんですけど。
現在 実業団でランニングクラブの総監督を務める瀬古。 瀬古さん今はね 現在は 指導者的立場とかいろいろ オリンピックを控えてお忙しい…仕事が山積してると思うんですけども。 ソウルが最後だったんですか?ソウルオリンピックが最後ですね。 いやいや 違う…すごいマラソンランナーが出てくるかもしれない 天才的な。 今日はですね…すばらしい…そして体にけがれがある人 運のない人マラソンをしっかり根づかせることが日本マラソンのレベルアップにつながると考えている。