♪~「100分de名著」 司会の…今月は スピノザの「エチカ」を取り上げています。 で スピノザの場合はね真理 そのものというよりは真理を獲得するっていうことですね。 物事を正確に認識するっていうのはどういうことなのかっていうことをスピノザは考えようとするんですね。 さあ では スピノザが真理について語っている部分がありますのでご覧頂きましょう。
つまり あくまでも…デカルト的な 真理というのを公に共有しようという考え方とスピノザ的な もう少し この真理と私自身の関係を むしろ重視する考え方多分 後々の この我々が生きているこの近代という時代はまあ 基本的にそのデカルトの方を採用したわけですね。 これを 彼は 「デカルト的契機」って呼んでるんですけれどもデカルト以前には 真理っていうのはこう 自分が何か少し変わったりレベルアップしたり それこそロールプレイングゲームでね経験値を貯めるとタラララッタッタッターンとレベルアップしてくわけですよね。
少しずつ 認識を獲得するということは自分のことを理解していくことだからだんだん 自由になっていってつまり 自分が少しずつ変化していくってことですね。 だから 何か自分自身が 主体として変化・変容することによって初めて到達できる水準があって初めて受け取れるようになるものが例えば水泳とかって 泳げるようになった瞬間っていうのが多分ありますよね。 実際に 自分で できるようになってその真理を いわば体得するというかその真理を体験しないと分かんないですよね。
例えば スピノザと同世代のホッブズっていう哲学者なんかはそういう哲学者ですね。 でも スピノザは そういう社会は結局駄目だっていうふうに考えたわけです。 一人一人のコナトゥスを大事にし一人一人の自由を尊重するような社会があって初めて社会は長続きしていく。