タイタニック沈没事故の新たな真実が明かされようとしています。 タイタニックは 世界屈指の造船大国イギリスのシンボルとして建造されました。 ジャーナリストのセナン・モロニーは30年にわたってタイタニックの沈没事故を調べています。 この数々の貴重な写真はタイタニックの主任電気技師ジョン・ケンプスターが撮影したものです。 アルバムは 長年 モロニーと一緒にタイタニックを研究してきたスティーブ・ラフィールドがオークション会場で見つけました。
火災は 第6ボイラー室の石炭倉庫で発生。 ジョン・ディリーはタイタニックの大きなボイラーに石炭を供給するチームの一員でした。 火災は タイタニックがベルファストの造船所を離れた その日に発見されました。 レイン博士は 自然発火した石炭が発見されるまでにかなり長い間 燃えていた可能性が高いといいます。 石炭火災が怖いのは発火のきっかけとなるものがなくても自然に燃え始めることです。 数週間!巨大な石炭倉庫が くすぶっていることに気付いた時には火は 恐らく数週間前から燃えていたと考えられます。
なぜ タイタニックの所有者は真新しい豪華な船を船内で 火災が起きている状態で就航させたのでしょうか?タイタニックと 姉妹船オリンピックを所有していたのはホワイトスターライン社。 経費削減の影響はタイタニックの姉妹船 オリンピックがイギリス海軍の軍艦 ホークと衝突した時はっきりと表れました。 もし当時 金属工学の専門家がこの写真を見たら鋼鉄は 可能な限り熱の影響に耐えなければいけないのでその内容は タイタニックの建造には「特別な質の良い鋼鉄」を使うべきだと求めるものでした。
最初に証言したのはサウサンプトンから乗り組んだ交代要員のチャールズ・ヘンドリクソン。 ヘンドリクソンは石炭を取り出し終えても「真っ赤に」って…大変なことじゃないですか!ボイラー作業員たちは火災で 隔壁が激しく損傷していたと証言しました。 ヘンドリクソンは「隔壁がへこんでいた」「下がゆがんでいた」と証言していますね。 第6ボイラー室の石炭倉庫で燃えていた石炭は取り出されましたが真っ赤に焼けた隔壁が火災を広げてしまいました。
主任ボイラー作業員のフレッド・バレットは船が 氷山に衝突した瞬間第6ボイラー室にいました。 バレットの証言は 隔壁の損傷が船の運命を決めたことを物語っています。 火災が タイタニックの沈没に決定的な影響を与えたのか明らかにする必要があります。 この結果は タイタニックのボイラー作業員たちの目撃証言と一致していました。 石炭倉庫火災は 隔壁の強度を本来の4分の1にまで落としました。 タイタニックの事故についての理解を根底から覆すものになるかもしれません。