ETV特集 移住 50年目の乗船名簿 第1回「アマゾンに生きた人々」

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この番組のまとめ

移民船 笠戸丸が165家族の日本人を乗せてここに入港したのは110年前の6月18日 夕刻。 19世紀の末 アメリカに続いて奴隷制度を廃止したブラジルは労働力を移民に求めた。 しかし その あまりの悲惨さにヨーロッパ各国は自国民のブラジル移民を禁止。 昭和43年 春ブラジル移民開始60年目の年私たちは移住船「あるぜんちな丸」の旅を記録した。 北米から南米諸国を巡り最終港アルゼンチンのブエノスアイレスまで49日という長い航海につくのである。

姉妹船からの連絡によればブラジル丸 第40次航復航乗船名簿には成功者102名の東京観光団と1名の強制送還者の名があった。 パーサー よろしゅうございますか?国援法で帰られるのは どういうふうな事情でお帰りになるわけですか?私はアマゾン援護協会の事務局長をやってますヤマノウチですけれど私の方で領事館から預かりまして72日 今日で預かっとるんですけど頑張ってね!「ETV特集 移住50年目の乗船名簿」今 全4回のシリーズが始まったところです。

貧しさと病の地獄に取り残された人たちに莫大な富をもたらしたのは移住の途中でシンガポールで買ってきた僅か2本のコショウの苗であった。 かつて トメアス市街の周辺に果てしなく広がっていたコショウ畑は今 その面影もなく 添え木の支柱だけが墓標のように立っている。 日本人が開いたトメアスの隣にある原生林に新しい入植者を入れてコショウの産地を拡大するのが事業所の役割であった。 原生林ですね。 あれは明らかに原生林?明らかですよ。 あとは原生林じゃない?あとは もうこれ 再生林…。

地平線の向こうまで続いているのはコショウ畑のあとに植えられたアブラヤシ。 食用油 マーガリン せっけんや洗剤ディーゼルエンジンや火力発電所の燃料。 身一つでベレンに出た町田さんが頼ったのはブラジル人に柔道を教える日系柔道家の小さな道場であった。 空軍中尉の弟子が 彼を輸送機に乗せてサンパウロに送り届けた。 元全日本学生空手選手権保持者町田嘉三君 今年42歳。 今年 私たちが町田道場を訪ねた日ブラジルのテレビが息子の黒帯を取り上げていた。

移住7年目 昭和50年にトメアスを訪ねてみると彼女はやがて アマゾンまで旅をして孫を連れ帰った。 数年後 耕一君の両親はブラジル永住を断念。 アマゾンに行こうって決心なさったのは?そうですねまず 23歳の時に カリフォルニアにいてこの部落が小さく見えてよし もう少し大きいとこで頑張ってみようと。 フランス料理の道を進むものと思っていた耕一さんは兵庫の伊丹市に住んでいた。 耕一君は今 商売何でしたっけ?今 設備の仕事ですね。 大学出の移住者 大場さん夫妻。