京都に暮らして30年宗教学者の山折哲雄さんは 時折この寺に足を運んできました。 香炉に1本 線香を立ててそれで もちろん火を消して大体 気持ちが非常に良くなるんですよね。 そして平安時代の西行や後世の俳人 芭蕉。 不整脈 要するに心臓の。 それで 心房細動の不整脈の血管による不整脈によってですね。 あの でも 手術の前後にね それは相当 大手術でもありますしその前後にいろいろ お感じになった事が…。
で 親鸞の物の考え方を通して日本人の死生観や無常観信仰と美山折さんは宗教学者としてこの列島に暮らしてきた人々の親鸞の研究というか親しむようになってですねやっぱり まず最初は「歎異抄」ですよ。 そうすると「阿弥陀如来の五劫思惟長い長いお考えになった果てに大衆 民衆を救おうと思われたお誓いの気持ちっていうのは一体 何だろう」と問いかけるわけだよね。
鎌倉時代に描かれた…一遍は 武士の家に生まれながら出家をして法然と親鸞に続く 他力本願の浄土教を受け継ぐ 一遍。 しかし一遍は 阿弥陀如来の救いを追い求める自分すらも捨ててただひたすらに念仏一つの往生を目指します。 しかも それは念仏一辺倒ではなくて伝統的な土着信仰 神仏習合の考え方。
日本人の言葉のリズムなんですよね。 日本人の言葉のリズムというのは同時に 日本人の命のリズムなんです。 姿も形もないというふうにその「自然法爾」の法話では言っておられるわけですね。 ただ 「歎異抄」に戻りますとね親鸞は 法然上人の事で つまり「法然上人にだまされて 地獄に落ちても 一切 後悔はしない」。 これが僕 よく インパクトのある言葉なんですがその往生という事では一遍も含めてですねその どういうふうな考えておられたんでしょうね。
平安時代の念仏聖空也上人ゆかりの寺です。 社会福祉的なね 橋を架けたり死者の遺体処理の仕事なんかも芸術の美の世界 信仰の世界これ 一体になって彼は生きているわけでだから 吉野に行って桜の花をうたうとか伊勢神宮に行って神官たち相手に和歌の道を教えている。