こころの時代~宗教・人生〜「“在る”をめぐって」

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この番組のまとめ

あの 「月」という560数枚の原稿はですね「今日 午前2時半すぎ相模原市 緑区の障害者施設津久井やまゆり園の職員から刃物を持った男が施設に侵入したと通報がありました。 なぜ ノンフィクションではなく小説「月」を書いたのか。 黙すっていうか 沈黙するものをして語らしめるっていうことはノンフィクションには できないことなんだろうなっていうふうに思うんです。

つまり体に いろんな不自由を持ちながらね精神や思考にいろんな不自由っていうものを持ちながら生きてる他者だけではなくてですねいろんなことが不自由なそのような存在も 存在するというよりも在っちゃうんだ 在られるんだとその受容 受容性という点においてはかつてよりも狭まっているんだと という危機感と予感が 僕にはありますね。 彼は 価値のないもの この世のために役に立たないものはですねつまり あの小説においては敵がいると思うんですけれども僕らの現実に持ってる社会自体が実は 優生思想的であると。

延び延びにされた存在って 一体何なんだろう というふうなオントロジーを僕なりに考えたわけですね。 両脇から 理学療法士に支えられて廊下を歩かされるわけですね。 終わりというのは 例えばですねビッグバンみたいなことなわけです。 この ビッグバンの時のものすごい宇宙的な爆発というのは我々の仕事であるような気が…気がするどころか というふうに私は確信しているわけです。 でも 似たようなものは ナチスドイツにも日本の優生思想の中にも埋め込まれていたというふうに私は思います。

日本の企業を相手にして損害賠償を求めた上告審があって日本の企業側に 賠償金の支払いを命じた判決があったわけであります。 多用途運用護衛核兵器は攻撃兵器ではないからでも しょうがないんじゃないかっていうふうに思うんです。 コスモスとか ハナニラとかオオイヌノフグリ オキザリスがそれが 冒頭で言ったような宇宙の 実は 残響かもしれない。 もっと年取ったら 折り合えるようにこう自動的に そういうふうに自分が老獪にっていうのよく言や フレキシブルにとかなるのかなと思ったら ならねぇなあというふうに思ってるよね。