先人たちの底力 知恵泉「ヒールの言い分!神に選ばれた恐怖の将軍 足利義教」

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この番組のまとめ

日本史上最悪の正真正銘のヒール…でも一体 足利義教は「ヒール」と呼ばれるまでになぜ こんな悪行を積み重ねてしまったのでしょうか?今日は その義教の「言い分」を みっちり「反面教師」として探っていきます!そんな義教に寄り添ってその悪を味わってくれるのは…。 今日は松之丞さんと 「悪将軍」と言われた足利義教の真実に迫り「あいつは 悪いやつ」と 後ろ指をさされないための知恵を学びます。

先生は やっぱり室町時代を研究されてらっしゃるということですからもう ご存じでしたよね?まあ 大学入試問題にちょこっとだけ出てくるんですけど。 私室町時代を研究してるんでたまに歴史番組とか出るんですけどそうすると 大体最終回なんですよその番組。 室町幕府6代将軍足利義教は数々の信じられない悪行を重ねました。

義教は 将軍直属の軍隊「奉公衆」を整備しました。 あの織田信長に先駆けること 136年永享6年には 京の武家政権にとってかねてからの政敵だった比叡山延暦寺を攻撃します。 更に 義教は幕府の中での将軍の仕事も変えていきました。 例えば 室町幕府に持ち込まれる土地争いなどの裁定。 また 義教は室町幕府が始まって以来の懸案…南朝の皇室の残党から皇籍をはく奪遠方へ追放したのです。 村井さん どうでした?結構 だから義教がやった功績といいますかかなり その政治を変えたりとか貿易を もう一回復活させたりとか。

もう だいぶ義教の気持ちが。 そのために6代将軍 足利義教が持氏は 義教がクジ引きで将軍になったことが不満で「将軍になるべきは俺だろう」と再三 幕府に迫っていました。 義教が 将軍に就任して元号を 正長から永享に変えた時も持氏は それに反発して新元号を使わずにいたほどでした。 それを止めたのは 幕府の重臣…先代将軍の時も管領を務めた義淳は「今 鎌倉公方を討つことは幕府体制の土台を揺るがしかねない」と義教を 強くいさめます。

同時代の公家が書いた「看聞日記」には「万人恐怖」「薄氷を踏むの儀恐怖千万」などの文字が おどります。 あの会長のね 歌丸師匠が ずっと私の会長だったんですよ 落語芸術協会の。 歌丸師匠が おっしゃってたのは歌丸師匠っていうのはもう 全国に名前知られてて歌丸師匠が ちょっとでも言うとそれになっちゃうらしいんですよ。 なので歌丸師匠は そこ気を付けてらっしゃったみたいで…それで みんなの意見として最後 歌丸師匠が発言するという。