うちの母は すごいジグソーパズルが好きだったんですけどアルツハイマーになって難しいジグソーパズルできなくなったんですけど子ども向けのはめ絵は やってたんですよ。 そういうことって一般的なアルツハイマーの情報からは面白いことってあるなと思ったのでそれはちょっと伝えられたらいいなと思って。 そうすると そのアルツハイマーになっちゃったからもう お先真っ暗で もう何も楽しみはないっていうこともないなというか。
本当だったら お花の芯を打ったりとかあと ちょっとこのデザインカッターっていってちょっと こういう飾りみたいな模様が入ったりするんですけどこれ何にもないんですよね。 もう本当に病気になっちゃってつらい つらい つらい つらいって思ってたんですけどでも お母さんは 50代半ばまではレザークラフトをやったりとか演劇の会に入って芝居のお手伝いをしたりとかあと 絵手紙を書いたりとかまあ 水泳やったりとかすごく生き生きと生きていったなって思ったんです。
それは もう紛れもなくアルツハイマーの症状でまあ 物事を決めるっていうのがすごく難しかったっていう時だったんですよ。 2007年 認知症の症状は進行し雅子さんは 要介護4になります。 お母様の変化とともにこの漫画を ずっと読ませて頂くとお二人も お父様も交えてみんなが 一つの その…病気を通じながらまた集まってくる感じがすごく伝わってきたんですけど。 漫画を描き始めた頃っていうのはさっきありましたけど60代後半で もう要介護も進んでいた時だったんですけれどもそっちばっかり気持ちが行っちゃうじゃないですか。
しかし 漫画連載の取材で母の気持ちを知ります。 50代後半からアルツハイマーの症状があらわれ75歳で亡くなった 雅子さん。 野島さんは お別れ会でこの漫画を冊子にまとめたものをみんなに渡しました。 ただ… ただただアルツハイマーになって弱って亡くなっていったっていう事実はもちろん悲しいんですけど。 母 雅子さんが亡くなったあと野島さんは父と一緒に ボランティアを始めます。