宮沢賢治の童話「銀河鉄道の夜」はこのイメージを基にして作られた。 それには 賢治が生涯を懸けて愛した賢治は 花巻川口町の中心地豊沢町にあった質屋・古着商の長男として生まれた。 明治42年 賢治は盛岡市の盛岡中学校に進学した。 生涯の道しるべとなる妙法蓮華経に出会ったのは賢治は 釈迦の言葉に惹かれていく。 大正4年4月 賢治は盛岡高等農林学校農学科に 優秀な成績で合格した。 嘉内は 賢治と同年の明治29年保阪家の長男として生まれた。
賢治と嘉内ら 4人が中心となって文芸同人誌「アザリア」を創刊した。 その夏 賢治と嘉内は2人だけで岩手山に登ることにした。 寄り添って立つ2本の電信柱は賢治と嘉内である。 嘉内は 危険な虚無思想の持ち主で皇室に異を唱えていると学校側に判断され 2年生の3学期に退学処分となったのである。 嘉内宛の賢治の手紙が山梨県立文学館に保管されている。 このあと賢治は嘉内の姿を描写するのだがさらに不可解なのは腰蓑がガラスで出来ていることである。
その時 南の水平線上に星座ケンタウルスがその上半身を見せていることに気がついた。 夜明け前 ケンタウルス座が見えていた。 ケンタウルスの語源はギリシャ神話に登場する一切説明していない。 しかし賢治が使っていた星座早見盤でもケンタウルスが冬の夜明けに見えることが確認できる。 賢治は 冬でも夜明けにケンタウルスが見えることを知っていたのだ。 私たちは 改めて賢治とケンタウルスの関係を七夕とは 7月7日 ひこ星と織姫が天の川を渡って出会う夜である。