こころの時代~宗教・人生〜「詩人 尹東柱を読み継ぐ人びと」

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この番組のまとめ

日本による植民地支配の時代に朝鮮語で 詩を書き続けました。 尹 東柱は朝鮮の言葉や文化を守ろうとして治安維持法違反で逮捕され…尹 東柱詩人が亡くなる時にいろんな証言があるんですね。 占領下においてて捕らえた側で 言葉まで奪ってでも そのやった側の日本人が何も知らないっていうのはやっぱり ちょっと都合がいいというか何も知らないままいくのは朝鮮語で 北間島と呼ばれる地域です。 井田さんは 大阪外国語大学で朝鮮語を学びました。

そういう はやし言葉の中に日本人が持っている 朝鮮に対する差別感情 差別意識っていうのが込められてたっていうことだと思うしあとになって思いましたね。 正直に言えば 私の中にもね隣の友人と遊んでいたにもかかわらず朝鮮… 朝鮮語 朝鮮人っていうそういう言葉の持っているものにそんなのが朝鮮語を始めた始まりですね。 当時 朝鮮人の姓を日本式の氏にする創氏と下の名を日本人風に変える改名が実施されました。

1942年 尹 東柱が日本で最初に暮らしたのは 東京です。 楊原泰子さんは 立教大学の卒業生。 この詩は 尹 東柱が立教時代に書いて友人の姜処重さんに送って恥ずかしいことだということはどういうことかなってちょっと分かりづらいですよね。 それに影響を与えているのは尹 東柱も持っていたと思う…尹 東柱は キルケゴールの本をたくさん持ってたと思うんですけれどこの本の最初に出てくるんですけれども。 学部断髪令が出て尹 東柱も坊主になっていますよね。

日本が朝鮮半島を植民地支配し中国に対し侵略戦争をした時代。 井田さんが所属する日本聖公会は天皇を中心とした国家の繁栄と戦争の勝利を祈願していました。 本来は 神の教えに従って祈りをささげるための祈文がこうした協力にもかかわらず日本聖公会は 国家により組織の解体を強制されました。 日本聖公会は それは ず~っと何も手をつけずに過ごしてきたんですけど関連記事を拾い出して丹念に集めたんですね。 日本聖公会の戦争責任を公的に認めて 懺悔告白して新しい教会の在り方を目指す宣言をしようっていうところに至った。

植民地支配を受けてですね 故郷を離れざるをえなかった人たちのことを続いて 尹 東柱が特高警察に逮捕されます。 この治安維持法は大幅に改正されまして友人に その意図を語るということだけでもしかも それを尹 東柱自身に日本語に翻訳させていたということも伝えられています。 当時の日本の特高警察にはですね朝鮮語もよくできる警官がいたんです。