一体 丹下健三はどうやって 個性豊かなスタッフを束ねこの知恵を読み解くのは…10年間の大手広告代理店 勤務時代に世界三大広告賞の一つと言われるフランスのカンヌライオンズのゴールド賞をはじめ国内外で 多くの賞を受賞。 先生のおっしゃることは神様のお言葉です というようなのが巨匠スタイルなんですけど丹下さんは よく スタッフに自分は チームの一員だと。
推定重量 5,000トンを超える大屋根をたった6本の柱で支えられればその人物こそ万博のテーマ館を任された…スタッフは 太郎に抗議しますが太郎は 「それは君たちの仕事だ」とどこ吹く風。 そして ついに たどりついたのが何本ものパイプを 立体的に組み合わせることで 重さを分散するこうして 丹下とスタッフたちがスクラムを組み難問を解決に導き広場の大屋根は完成します。
僕の知っている方々いろんな複数の証言を聞くとどうも 丹下さんは 最初 びっくりして「これ まずいな」ということもありつつやっぱり よく考えたらさっきのアイデアが中心って話でこれは いいんじゃないかと。 あと もう一つ丹下さんが大事にしてたのはフラットな関係を 具体的に…これ 言うのは簡単なんですけど「フラットに話し合う」。
で これ 何に使ったかっていうと例えば 羽田とか成田とかでジャンボジェットとかをメンテナンスするために飛行機を整備する格納庫というかその屋根は 全部 これなんですよ。 まあ それで 大阪万博を 大成功に導いたという感じもしますけれども実はですね そのあと日本の経済成長は 陰りを見せ始めて建築業界も 不況に入ってしまうということなんですね。 万博も 無事終わり経済成長が続く 1973年。 第4次中東戦争が勃発し石油価格が高騰。
91年の生涯で 仲間と共に力を合わせつくり上げた作品はで ツインになってるのは…普通だとあの案の途中で出てきましたけどこう 山のような 1つの形にしちゃうとそれがシンボルになってしまって何ていうんですかね そこだけに視点が行っちゃうんですけどその建物を 2つにこう割ったりとかスプリットして視線が抜けていくみたいなことに当時 丹下さんはすごく こういうデザインがいいんじゃないかっていうんでブラジリアとか ニューヨークでもツインタワーのものって結構 あるんですけどそれに対してあっどうなってんのかなということで
ですから香川県庁舎の時には市民に開かれた市庁舎をと言ってたのに急に 何か こう威厳のというか 偉そうなというか圧迫感のあるものを建てたっていうことで当時は すごく批判されたんですけどただ あれから実は もう 30年たつんですよねあの新宿の都庁が建って。 それを振り返って今 渋谷でもいっぱい超高層が建ち始めて新宿でも建ってて丸の内でもいっぱい建ってることを踏まえると多分 丹下さんは 次の未来 来る未来をだから 今 我々が今 この生きてる瞬間を何となく イメージができてて…。