今回は 戦国時代の教育の知恵お教えします。 でもね 親子の教育の関係いろいろ悩んでる方いらっしゃると思うんですよね。 小和田先生教育で不安になった時何かこう 先人の知恵でいい方いませんかねぇ。 そうですねぇ ちょうど 北条氏綱氏康あの親子はねなかなかいいと思いますよ。 そんな氏康に父・氏綱が施した教育とは?うまく強みに変えてあげよう。 乱世の教育のノウハウを探ります。 生徒と共に社会の仕組みについて学ぶ「よのなか科」の創設など革新的な教育によって注目を集めてきました。 教育界の さだまさしです。
でも氏綱は その氏康の臆病者のところの良さみたいなのをねやっぱり何か感じたんでしょうね。 小田原城を拠点に 関東での領土拡大をねらっていたのが北条氏 二代目当主 氏綱。 いずれは家督を継ぎ三代目当主となるはずの氏康ですが 父・氏綱には大きな心配事が…。 氏康に 「人の上に立つ者」として重要な「臆病」という 誰もが「弱点」と捉える氏康の特性を「慎重で思慮深い」とポジティブに捉えた氏綱。
あれ やっぱり…それで わざわざ名乗りを上げてそれこそ 「清和天皇何代の孫何代の…」なんてもう5~6分 しゃべるわけ。 渡辺さんが不思議に思うようにだから その 何て言うのかな当時の 一般的な精神性というか武士が持っているプライドそういったものをちょっと捨てといてまあ 抜け駆けでもいいから勝とうというのは彼の戦法だったんですよね。 それまでは 家臣の中で計算できるようなのが計算してたんだけど大将自らが そういう計算できるわけですからそれは やっぱり北条軍というのがかなり強くなった一つの大きな要因ですね。
氏康が 北条五代の中で名君だと言われるのは…その計算方法は複雑で農民からすれば「あれこれ理由をつけて税を搾り取られる」という印象。 そもそも 今の岡山県備中国で生まれた氏綱の父・早雲が 関東へ移り繁栄させてきた北条家にとってそれは この地での権威を確固たるものにする出来事でした。 実際に 本当に他国からやってきて関東を切り取り始めたんでそういった意味で それを払しょくしようというのが一つ 鶴岡八幡宮の再建と関係してると思います。
しかし 氏康は不利な状況だからこそ相手の油断を誘う事ができるのではと考えたのです。 油断した上杉の背後から一気に氏康が襲いかかったのです。 それじゃ 男としての義理がどうのっていうのを幼稚園から小学校低学年の俺にそういう言葉を使うわけですよ。 ねえ?本来の その臆病慎重というところを利用して勝利した これ見事な作戦と言えるんじゃないでしょうかね。