先行きの見えない この時代どう子育てをすればよいのか?戦国時代の教育術にその答えがあります!いやぁ 渡辺さん 息子の裕太さん大活躍ですよね。 時に自分と違う長政のやり方を認め今回 黒田官兵衛の教育法を読み解くのは…2003年東京都で民間企業出身者として初の公立中学校長に就任し中学 高校の教育改革に着手。 いや あの 今回はですね「先が読めない時代の生き抜くための教育」という事で黒田官兵衛・長政親子をね見ていこうと思うんですけれども。 いや まさに今は もう戦国時代先が読めない時代になってると思うんですよ。
僕らの時代はというか処理能力を高く磨いてですね記憶力に物言わせて正解を早く正確に当てれば 大体まあ サラリーマンでも公務員でも成功したと思うんですけど今は思考力 判断力すごく大事なので入試も変わっちゃうんですよね。 そこで 自分が成功した方法にこだわる事がう~ん自分の成功体験にこだわらず自分と違う息子を認めたというこの官兵衛の知恵ですけれども。 まあ 理想ではね 子供は子供子供が自分の道を歩けるようにとかって小和田先生 人をだまして 人に愛されなかった官兵衛に対して長政は こう人から愛されたわけですよね。
そう考えると 官兵衛も親の考えを押しつけない長政のやり方を認めた官兵衛なわけですけれどもしかし それを快く思わない人物がいました。 官兵衛は 敵討ちにはやる長政にこう語りかけます。 長政は父・官兵衛の非情な教えによりその事に気付いたのです。 で その兜自体が場合によっては父・官兵衛譲りの調略を本来 持つ家康の天下統一の裏には この長政の見事な調略があったのです。
結局…さあ そして長政の話に戻りますけれども福島正則との兜の交換というのがありましたけれども。 それで戻ってきて肥前・名護屋城でまあ 福島正則たちに自分の手柄話 自慢するんですね。 で そのあと 秀吉が亡くなって今度は 石田三成と徳川家康の対立になりそうな時に福島正則も 仲間に引きずり込みたいとなるとやっぱり そこで秀吉のもとでね一緒に暮らした仲ですから古い幼なじみ的なものをもう一回 取り戻そうという時にそれこそ兜は もう家というか自分の象徴ですからそれを交換する事になってそれで…聞いた事ないですねぇ。