更に ヴァザーリは「ダ・ヴィンチは肖像画を描く際 リザが緊張しないよう音楽家や道化師を雇い 和やかな雰囲気を作った」とも記しています。 ダ・ヴィンチのアトリエを訪ねたアゴスティーノ・ヴェスプッチという人物が持っていました。 つまり ダ・ヴィンチは間違いなくリザ・デル・ジョコンドの肖像画を描いていたということです。
リザの夫・フランチェスコが「モナリザ」を所有した事実はありません。 デ・ベアティスは ルーヴルの「モナリザ」をダ・ヴィンチから見せられ依頼主の名前を直接 聞いたと書いています。 もしかすると ダ・ヴィンチはリザの肖像画を2枚 描いたのではないでしょうか?商人の依頼で 最初の「モナリザ」を描きその後 貴族の依頼でルーヴルの「モナリザ」を描いた。 商人の依頼で描かれた最初の「モナリザ」とされる肖像画が背景は少し 大ざっぱな感じですが顔は…。
ダ・ヴィンチは メディチ家のためなら時間を割いてでももう一枚 肖像画を描いたでしょう。 イスブは「アイルワースのモナリザ」こそ商人が依頼した最初の「モナリザ」だと確信しています。 依頼主は完成まで待てずに妻の肖像画を引き上げてしまったのでしょうか?絵は以前科学的に検証されカンバスは1500年ごろのものやはり最初の「モナリザ」なのでしょうか?一つ 引っかかることがあります。 サンクトペテルブルクに最初の「モナリザ」が現れたというのです。
あなたは「モナリザ」が 1枚の絵に2つ存在すると考えているんですね?「モナリザ」を分析して得た全ての情報を総合してデジタルのモンタージュ画像が作成されました。 もしこの絵が最初の「モナリザ」であるとすればダ・ヴィンチはやはり依頼主であるリザの夫に肖像画を渡さなかったことになります。 そして最初の「モナリザ」の上に現在の「モナリザ」を描いたということです。