35年前 石澤さんは上智大学にアンコール遺跡国際調査団を立ち上げました。 以来 「ソフィア・ミッション」と呼ばれる隣人のための国際奉仕活動としてさまざまな団体と協力し遺跡の保存や修復を担う人材の養成に 力を注いでいます。 朝鮮半島であったり インドシナであったりっていうのはベトナムの学生さん カンボジアの学生さん タイの学生さんその カンボジアにはアンコール遺跡があってそこに研究してるフランス人が十数名いると固まっているという事で君たち 行くんなら行こうという話になったんですね。
ポール・リーチ先生の口添えもあり特例扱いで臨時研究員にさせてもらえた石澤さんはピッ・ケオさんは 同じフランス人研究者のもとで学ぶ同級生で 仲良くなりました。
大学の卒業式にも出ずカンボジアで暮らすことおよそ1年。 石澤さんは研究生活の足場を固めるため一度 日本に帰る事にしました。 しかし 石澤さんの帰国後事態は一変。 カンボジアで 内戦が起こります。 その日 石澤さんは再び カンボジアに戻るため羽田空港にいました。 カンボジアの中では何が起きているのか…。 これは 内戦中のカンボジアで撮影された貴重な映像です。 ただ パリに難民として出たカンボジア人の中に人の事は あまり構えないそういう事もありまして。
フランス語が分かり遺跡保存の技術を持ったかつての仲間も標的にされた可能性がありました。 やはりカンボジアの友人が亡くなって何十人という人が命を落としておりますし一緒にやろうと言ってた人たちが。 文化も ちゃんと自分たちで守るというのは当たり前の事ですけれどもただ これまで フランスはカンボジア人は できないから俺たちが やってるという事は言ってはばからなかったですよね。 しかし カンボジアの人は器用なんですね。
それで カンボジア人によるカンボジアのための遺跡保存というのを 一つ喜怒哀楽の仕事をやってくれる土着の神様なんですね。 それが両方いるという事でカンボジアの人はアンコール・ワットに来ると周りのお堀の芝生の上にですねござを敷いて 一日 ゆっくり神様と共にという。 遺跡の修復のカンボジア人の学生が修復を一生懸命しているところを取材をさせて頂いた事があって。
カンボジア人によるカンボジア人のための保存修復を目指してきた石澤さんの活動は一つ一つ成果を積み上げています。 日本は同じアジアなんですけれどもその カンボジアやインドシナに優れた文明があったっていう事に思いが あんまり至ってない。 どうしてなんでしょう?もともとですね 明治維新以来脱亜入欧なんですね。