先人たちの底力 知恵泉・選「失敗の理由はKY?源義経(後編)」

戻る
【スポンサーリンク】

この番組のまとめ

義経の失敗を一刀両断!貴族の世から 武士の世へ。 その訳は 軍勢を率いる義経が主君・頼朝の思惑に反し度々 暴走を重ねた事にありました。 黒ですか?ええ 黒義経。 いきましょう その黒義経を。 義経と頼朝。 しかし この華々しい勝利は義経失脚の序章でもありました。 戦いの数か月後兄・頼朝は 義経に対し怒りをあらわにしています。 特に 平氏の存在を苦々しく思っていた時の権力者・後白河法皇は義経を 殊の外 高く評価。

それらを無事保護しろという事を頼朝は 義経に課したのです。 平氏に代わり 東国に初めての武家政権樹立を目指す頼朝は朝廷との交渉を有利に運ぶため天皇と三種の神器を保護したいと考えていたのです。

でも悪気のない 悪気はないけど手を突っ込みましたってまあ 一番迷惑…。 義経みたいな選手とかいましたか?そりゃ みんな義経みたいな選手でしょ。 知ったかぶりが一番駄目。 だから 恐らく選手と一番話したの俺かも分かんない。 必ず そのゲーム終わったらホテルの宿舎の宴会場で監督が飯を食うっていうのはみんな知ってるわけだから外 出ないわけだから話あるやつは必ず その宴会場に来てますよ。

言葉の主は 梶原景時。 景時は 実務能力に優れ頼朝から 最もあつい信頼を受ける武士の一人でした。 度重なる 義経の仕打ちは景時にとって大いに不満が残る事でした。 満福寺には 頼朝に向けて義経が記したと伝わる「それなのに 兄上のお怒りを被る事となり…」。 義経は もちろんその二つの側面があってまあ指揮命令権者としての立場と。 ただやっぱりね 梶原景時は義経を補佐しつつそれについて 鎌倉殿の代わりに助言する立場というのをやっぱり 本質的に性格の問題もあるでしょうしね。