いわば…今回 廃藩置県の知恵を読み解くのは…長年 旧自治省の官僚として大臣秘書官などを務めたあと更に 県知事を2期務めたあと2010年には 総務大臣に就任。 どうですか? この廃藩置県ってどういうイメージがありますか?ただ まあ 今になってみますとねだいぶ状況変わってきて国も成熟して 国力も増してますから…国で決めることっていうのはやっぱり 全国一律でどうしても形式的なんですね。 歴史の教科書でね「廃藩置県」という言葉は やりまして覚えてますけどまあ 藩が県に変わったぐらいまでしかちょっと分かってなくて。
幕府は この証明書を全国の藩主に交付することで新政府は 藩主たちが慣れ親しんだ幕府の手続きを踏襲することで藩主たちを安心させねばならないと主張します。 明治2年1月20日新政府が用意した版籍奉還の宣言が天皇からの領地・領民の再交付をにおわせる文章でした。 藩主たちは 一度 返上した領地と領民が天皇のお墨付きを得て戻ってくるものと思い込み一斉に版籍奉還を申し出てきました。 領地と領民は法的には天皇のものになったものの新政府は その管理をこれまでどおり 元藩主に任せました。
そこで課題となったのが政府が諸藩に にらみを利かすための木戸は 毛利敬親に長州藩の軍隊を一度 解散させた上でその一部を政府軍として上京させたいと説得。 政府軍として 上級幹部を採用する一方身分の低い兵たちは解雇するという木戸のリストラ案に猛反発したのです。 維新を共に戦ってきた地元長州の兵ならば改革急進派だった木戸は一転慎重派となってしまいます。 当面 藩を存続させ様子を見ることが政府の方針とされ木戸の勧めで 明治元年いち早くヨーロッパの軍事制度を視察。
実際 長岡藩や盛岡藩など9つの藩の廃藩が認められ山縣は 廃藩断行の準備が整いあとはトップが決断するだけだと期待したのではないでしょうか。 山縣は 廃藩断行を真剣に訴える部下たちの声を政府中枢に届け膠着状態を打開するほかないと決意するのです。 廃藩置県断行に向け摩と長州の藩士7人による特に西郷は 反乱があれば主君 久光にも弓を引くと覚悟の程を表していました。 廃藩断行は 藩士である彼らにとってこの時 261あった藩が解体され近代国家 日本が生まれました。
「毎日毎日 『家が潰れて どうしよう』って来られるんだけど国はね その時 住宅再建支援には1円も出してくれませんでした。 何て言うの 「前例がない」とか何で臨機応変というかイレギュラーなこと…。 東日本大震災の時も もう迷うことなく住宅再建支援っていうのはちゃんと適用したんですよね。 だから この制度は今 国の制度になってますけどもとを正せば ちょっとボトムって言うと失礼ですけど…ボトムアップで動く場合と逆にトップダウンで動く場合とどっちが多いんですかね。