ナチスの宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルスの妻でありアドルフ・ヒトラーとも親しいマクダ・ゲッベルスです。 連合国軍は この2体をマクダ・ゲッベルスと夫 ヨーゼフだと確認しました。 第三帝国が崩壊した時最高幹部の妻で 自決した人間はマクダだけです。 マクダは20歳年上のクヴァントと結婚します。 それでも 慰謝料によってマクダは その後も何不自由なく 暮らします。 1930年9月の選挙に向けその夜 聴衆の前に立ったのはヒトラーに次ぐアジテーター ヨーゼフ・ゲッベルス。
マクダが とても強くナチスと ヨーゼフ・ゲッベルスに惹かれていた事が分かります。 ゲッベルスは マクダをナチスの指導者に紹介します。 ゲッベルスがマクダに惹かれたのも当然です。 ちょうど そのころ 保守政党は共産主義に対抗すべくナチ党との連携を模索しており資本家と交流のある マクダはナチスと保守派を結び付けるうえでも重要な人物でした。 ヒトラーは ゲッベルスと話をします。
ベルリンを訪れていた その男性はユダヤ人のヴィクトル・アルロゾロフ。 10年前 マクダは アルロゾロフと熱烈な恋愛をしていたのです。 アルロゾロフと出会った頃マクダは フリートレンダーというユダヤ系の姓を名乗っていました。 アルロゾロフは マクダを同胞だと思い込んだんです。 ユダヤ人だと思ってつきあい始めたらマクダ・フリートレンダーという名のドイツ人だったというわけです。 アルロゾロフは マクダに会えないままベルリンを去ります。
ゲッベルスが 宣伝省の職員に家族の映像を撮らせていたのです。 マクダの子供たちの笑顔は犯罪的政策のプロパガンダに利用されます。 マクダは 家族を連れて頻繁に ヒトラーを訪問しましたがその場に よくカメラマンを同行させていました。 ヒトラーにとってゲッベルス夫妻が別れるなど許せるわけがありません。 彼は 相手の女優を追放し更に ゲッベルスを呼びつけ二人の問題を処理した ヒトラー。 マクダは ハラルトを特別扱いする事なく前線へ送り出していたのです。