日曜美術館「ギュスターヴ・モロー ファム・ファタル(魔性の女)に魅せられて」

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この番組のまとめ

♪~19世紀末のヨーロッパでは「ファム・ファタル」と呼ばれその妖しくも 耽美的な魅力で画家たちの想像力を かきたてました。 そんな時代に モローはなぜ 「聖書」や神話の物語をモチーフに妖しく 幻想的なファム・ファタルを描き続けたのか。 今日のテーマはギュスターヴ・モローが描いたファム・ファタル魔性の女ですけれどもこの言葉は19世紀末のヨーロッパで広がった言葉なんですね。 かつてモローが暮らしていた住居とアトリエを使った世界初の国立の個人美術館です。

中野さん この「出現」って作品でモローが描いた サロメですけどこの作品の独創性っていうのはどういう辺りにあるとお考えになりますか?まずですね サロメがヨハネの首をもらうというところで「聖書」は終わってるし他の画家もみんなその首をお皿の上にっていうのがほとんどなんですけれどもあるいは踊っているとかのシーンとかですね。

もう一つはそういうものじゃなくってその内面へ過去へというそういう2つに分かれていって少しずつ やっぱ 女性たちが自己を主張していくっていうかその権利を主張していくっていうような動きもだんだん見られつつあるような時代であったと考えると彼は… モローは やっぱそういう女性たち…やっぱ少し やっぱり距離を置いて自分の中にある その女性っていうのを描こうとしたっていうことなんですかね。 ファム・ファタルっていうのは結局は人をこうあやめかねない女性の何ていうんだそういうこと… そういうことですよね。

その割と こう 聖女のような女性たちだったその彼が 絵においてはサロメのような女性を描き続けたっていうようなことについてどう思われますか?残ったものから類推するにも十分に官能性のある見つめあうって日本語で「まぐわう」っていうように性的な意味合いがあるでしょ。 やっぱり こう 現実において女性と こう つきあうっていうかそこの女性との やり取りのできなさみたいなところでこう 妄想が膨らんで 少し こう 官能的…絵の中で その官能的なものを表現するっていうようなことはあるのかなあなんて思いながら…。

モローは 対決の場面をスフィンクスがオイディプスの胸に抱きつき見る者に感じさせようというモローのねらいでした。 娘が平然と胸に抱いているのは竪琴の名手で吟遊詩人のオルフェウスの首です。 今のね 「オイディプスとスフィンクス」の絵なんかも私オイディプスの絵何枚か見て比べてみるとねええ 負けてるんですよ ちょっと。 だから私はスフィンクスの方が驚いて目を見開いている。 やっぱり作家の創作活動って自分の悩みの克服の手段である。