先人たちの底力 知恵泉「廃藩置県 都道府県誕生の衝撃」

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この番組のまとめ

あなたの出身県がなくなっていたかもしれない?今宵は…最近は 都道府県のPR動画もネットで話題です。 そんな都道府県誕生のきっかけとなったのがおよそ150年前の廃藩置県。 国家予算の4倍もの借金を解消した渋沢の一発逆転の秘策とは?一方 政府は 江戸時代の300の藩を合理化のため統合。 全国で次々と巻き起こる…明治政府は いかに決着をつけ現在の47都道府県にまとめあげたのか。 そんな都道府県誕生の舞台裏を読み解くのが…長年 中央官僚として国の政策に携わった後 その立場を逆転。

更に 渋沢は商人たちから届いた借金証書の内容も厳しくチェック。 そこには 商人たちに対する渋沢の厳しい見方があったと渋沢の研究者 島田昌和さんは考えます。 渋沢は 大名に寄生し甘い汁を吸ってきた商人にもそういう感覚は強く持ってたんじゃないかと思いますね。 そもそも 渋沢が購入した公債とは政府が資金を集めるために販売する証券のこと。 渋沢は この公債を使えば今 政府に全く現金がなくともこの時 発行された公債がこちら。

さあ そして廃藩置県が行われて県が出来たわけですがこれ 江戸時代におよそ300藩あったものがまず72県に統合されました。 廃藩置県から5年後の明治9年までに府県の数は3府35県まで減少。 大和の国と呼ばれた この地は廃藩置県により 10の藩をまとめて奈良県として誕生。 今の奈良県民はどう感じているのでしょう?大阪と奈良。 合併されていた時は大阪の55議席に対し 奈良は僅か17。 奈良県っていうのをもう一回 作り直そうっていう熱意がすごい伝わってきましたね。

この状況は政府要人の耳にも届き参議の山縣有朋自ら鳥取への視察を申し出ます。 この山縣こそ 10年前廃藩置県 断行のきっかけを作った張本人でした。 そんな山縣の目に映ったのがすっかり寂れてしまった鳥取の城下町と反政府運動に明け暮れる士族たちの姿。 山縣の視察から1か月後鳥取県は5年ぶりに島根からの独立を果たします。 廃藩置県を断行した山縣自身が現地に赴くことで改革のひずみを直視し問題の解決へと つながったのです。