こころの時代~宗教・人生〜「光を求めて ともに歩む」

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この番組のまとめ

2001年には弁護士人生をかけた ある裁判で歴史的判決を勝ち取ります。 生まれ育った大分で弁護士を続ける徳田さんにこれだけ長く生きてきましたからね。 田舎の弁護士だと思っていてどこにでもいるごく平均的な田舎の弁護士としてどんなことができるのか ということを自分なりに追求してきたというそんな思いですかね。 地域の人たちと共にそういうことをすることが自分の弁護士の一番大事なことだと思っていて。 そんな思いで 自分を戒めるようなそういう気持ちでずっと 田舎弁護士ですということを言い続けてきたんですね。

その時は本当に ごめんなさいですごく落ち込んだりもするんですけど♪~そのころ私は だから国家公務員試験を受けて厚生省に入って次々と強制的に移住させられて白いご飯とキムチ白菜のキムチが用意されてる。 そんな思いで 曖昧な返事してたら「卒業して何になるの?」って言われて「僕はですね 厚生省に入って社会保障の仕事をして皆さん方のお役に立ちたい」って勢い込んで言ったんですよね。 徳田さんが所属する九州弁護士連合会に一通の文書が届きました。 その男性が暮らしていた鹿児島のハンセン病療養所です。

私は そういう意味で言うと聖書に出会いましたしで 「砂の器」という映画も見ていて日本のハンセン病隔離政策やなんて言ったらいいんでしょうか こう…自分は恥ずかしい人間だな という。 九州大学と九州の弁護士会とで共催のシンポジウムを開くことになってそこに……に入所しておられた方たちが10人ぐらい来ておられたんですね。 シンポジストの話が一とおり終わったあとにその中のお一人今でも原告団の代表をしてる「自分は絶対こうした らい予防法や隔離政策は憲法違反だと思ってる。

自分が犯してしまった罪を償おうとして参加したはずの裁判なのにそれ自体が 今 自分たちが主人公になってしまってるということをそれは もう解決したんですかと言われると家族訴訟 今それがまさに渦中なわけですけれども。 これが あの…2016年ですか 提訴されたちょうどだから2001年から15年たった時に家族の被害を訴えた国家賠償訴訟。 まずねお話しした方がいいと思うのはハンセン病隔離政策っていうのはハンセン病を恐ろしい伝染病であるというふうに捉えることを就職するっていう人生を歩んでいく。