NHK高校講座 日本史「平安遷都と律令制の変容」

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この番組のまとめ

♪~794年の平安遷都から鎌倉幕府が成立するまでのおよそ400年間を 平安時代といいます。 桓武天皇は 寺院勢力が政治に影響を及ぼすのを嫌い政治の立て直しを図るため平城京を離れ新たに 都をつくることを決めました。 しかし 都づくりの責任者藤原種継が暗殺されたり洪水の被害が 度重なったりしたことで一方で 奈良時代末から政府は 東北地方にも律令制による支配を押しつけようとしていました。 そして蝦夷の族長阿流為を降伏させ東北地方統治の拠点を多賀城から胆沢城に移します。

新たな官職を置くことは奈良時代にもありましたがこの時代には 重要な令外官が置かれ大きな政治改革となりました。 まずは 桓武天皇の時代に新設された 勘解由使。 しかし 不正が多かったため嵯峨天皇の時代には機密の漏えいを防ぐため律令制を 「格」や「式」で運用するようになったんだよね。 また 公民からの徴兵制を廃止し郡司などの子弟や有力農民からの志願により少数精鋭の健児を採用。 平安時代初期の文化を弘仁・貞観文化というんだけれども弘仁・貞観文化の中心となったのは新しい仏教なんです。

今日は 平安京遷都後に起きた平城太上天皇の変。 平城太上天皇と 嵯峨天皇は2人とも 桓武天皇の息子です。 …で お母さんも一緒で平城太上天皇がお兄さんそもそも その平城天皇っていうのはどういった人だったんですか?はいはい。 地方の行政を監督する官職を置いたりあるいは 中央では大規模な行政改革をやったりとそんな具合に 積極的な政策を進めるわけなんですけれども3年後の809年に病気になってしまって突然 弟の嵯峨天皇に位を譲るということになってしまいますね。