自分が何ができる…?ベトナム戦争の中で 現実に強大な武器を持っているアメリカを中心とね した勢力がそういう 力もない…いくら政府に対する抗議集会 開いてもあるいは街頭でデモをしても会社を定年となり初めてカメラの前に立つことを決めた元連合赤軍のメンバーがいる。
それが…革命左派では 指導者が逮捕され有力メンバーではなかった永田洋子が組織のトップとなる。 1969年山梨県大菩薩峠の山小屋に集結していた革命左派に統合を持ちかける。 弘前大学の学生だった植垣康博もだから 初めからね 人を殺すとか自分が殺されるとかだから よく言われるのがね…これがほんとに 自分のね国のためになるんであれば自分は喜んで行くという考え方とね 感情と…二つの組織は「榛名ベース」と呼ばれるアジトに入った。 軍隊組織と同様に 兵士たちは幹部の命令には絶対服従だった。
更に植垣が結婚まで考えていた女性兵士植垣は それを止めることができなかった。 森 恒夫と 永田洋子が逮捕された。 仲間を殺すという残忍な事件に日本中が震撼し社会変革を目指す若者たちの運動は姿を消していった。 リンチ殺人を主導したとして死刑判決を受けた永田洋子。 それが 僕がよく言われる無反省の原因根拠でもあるけどね。
政府は日本の土地を米軍に提供してそこの米軍基地からベトナムへと爆撃機が飛び立って何十万人と殺してる。 ただ 全部 考えから出てたことを武装闘争じゃなくて 武装闘争をやろうとした根本にある考えまでそして今 この社会にどんな思いを抱いているのか。 植垣康博は 8人を殺害した罪に問われ懲役20年の刑を受けた。 学生たちは 当時同じ年代だった植垣がなぜ運動に飛び込んだのか不思議でならないのだという。
そうやって いろんな だんだん過激になっていったりする中で自分が今 この活動をしてることがほんまに正しいんかとかって疑ったりしなかったんですか?疑ったというよりもね 自分たちがやってること 特に山の問題で自分たちがやってることが一体何なのかただ そういう疑問というか思いは持ってるしね。 とにかく早く終わってほしいという思いと一体 自分たちがやってることは一体何なのか これを考えたいけど状況が どんどんどんどん進行して考えてる暇もなかったんだね。