先人たちの底力 知恵泉「真田一族のブランド力 維持する哲学 真田信之」

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この番組のまとめ

一つは 戦に出て武功をとどろかせ…信州上田の小大名 真田一族は見事に この2つを成し遂げたことで知られています。 慶長5年 関ヶ原の前哨戦上田合戦で真田昌幸は西軍に味方し10倍の秀忠軍を相手に奮闘。 今回 真田信之のブランドを維持する知恵を読み解くのは…心をつかむ いい商品をつくれば必ず売れると信じて現地の職人と共に細部までこだわったバッグを製作。 日本で販売すると若い女性から人気が広がり今ではバッグだけでなくジュエリーやストールなども手がけるファッションブランドとして注目されています。

長男 信之を東軍に味方させ自分は次男 信繁と共に西軍につきどちらが勝っても真田家が存続するように謀ったといわれています。 しかし 信之は家康の動員に応じ 出陣した以上今になって寝返るのは不義になると反対し昌幸は信之が信頼する僧を呼び世に言う犬伏の別れは昌幸が企てたリスク分散ではなくそしたら一獲千金のつまり欲しかった信濃一国場合によっては 甲斐まで手に入れられる。

結果は…昌幸の信濃一国の大大名になる夢は破れ自分も腹を切ると命がけの嘆願をしたことで九度山への蟄居に減刑されます。 当時の大名の当主というのは戦国の時代であれば家臣をまとめて戦に勝利をするっていうのがこれは絶対条件です。 何か そこに対して「あれ? 本当のゴール何だろう?」って思った時にやっぱり 職人さんが自分の力で つくりたいものをつくってそれが評価されるっていう何かシンプルなことができたらいいなって思ったんですよね。

関ヶ原の戦いで親兄弟と決別し東軍に味方した信之をところが信之の上田領統治時代は相次ぐ戦で田畑は荒れその上 度重なる浅間山の噴火でですので… 浅間山はほぼ連年のように噴火をします。 ため池によって水を確保できるようになったマイナスをプラスに変える思考で上田藩を復興に導いた信之は元和8年 将軍 秀忠から…その場所を秀忠は 外様出身の信之に任せるほど信頼したのです。

ないんだけど例えば 日本とか中国でやる生産工程で使う大がかりな機械とかも全然 導入されてないしまして電気もないみたいなとこでいうと結局 いいものつくれないじゃんってお手上げっていうふうになっちゃうところをでもね みんな手仕事は すごい得意なんですよ。