先人たちの底力 知恵泉「徳川三代の天守(前編)創業者 家康のシンボル」

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この番組のまとめ

自分のアイデンティティーを表現する。 城郭がご専門の千田嘉博先生なんです。 それが 江戸城なんです。 江戸城。 およそ400年前徳川家康が江戸城を築いた時には立派な天守が立っていました。 徳川三代なぜ それぞれの天守を建てたのか。 日本人として初めてファッションショーを開催し世界のステージに登場。 親子三代 それぞれ天守を建てたっていうのはそもそも ご存じでいらっしゃいました?いえ 知りませんでした。

じゃあ 一体 どうして家康が日本一の天守を建てることになったのかっていうのがますます気になってくるところなんですがそこで 今夜の特別メニューこちらでございます。 これまで謎に包まれていた徳川家康によって築かれた初代江戸城。 攻める側にしてみれば枡形一つでも手ごわいのにこの一番大きいのが大天守。 こういった 少し小さめの四角が小天守 小天守と考えられまして…。 なんと 江戸城のシンボルである天守は1つではありませんでした。

そんな家康が江戸城を築く戦略的な意味は当時 日本一だった大坂城を超える城を築くことによって敵のシンボルをおとしめる大作戦。 一つは 合戦になった時に 地域の人々が敵の軍勢にさらされてしまいますので改めて 大坂城と江戸城 それぞれの惣構えの規模を比較してみましょう。 こうして 江戸城は家康のもくろみどおり大坂城をしのぐ 最強の城になりました。 実は 家康が江戸城建設を命じた時一つ こだわったポイントがあったといいます。 初代江戸城の天守が白いのは家康の たっての希望によるもの。

それを家康の江戸城っていうのは本当に逆の色の 真っ白でっていうことに決断したわけですから…。 しかも その天守が大天守と小天守が連立するっていうのがまさに これも江戸城の中心部と同じですから西国の大名が こう ずっと…瀬戸内海 進んでいって姫路城が見えますと何となく江戸城を見てる気がするみたいなきっと ミニ江戸城みたいなところがあったんじゃないかと思います。 実は 家康自身天下普請に駆り出される つらさを身にしみて知っていました。

さっきのスタジオでは お話の中ではいかに美しくて最強の城をつくるっていうところを見てきましたけれどももう一つ 同時に 戦う気をなくすためのものでもあったって寛斎さん これ どう ご覧になりました?ですから 私が分かりませんのは一つのすばらしい建物をつくるのに参加するとなるとお上の命令どおりに いろいろやらなきゃならないということは分かりますが一方で そのスタッフ 周り 仲間自分の命を聞く人たちが結束しないとたかがイベントで みんなが面白いというものを作るだけでもこれだけのエネルギーがかかりますから。