修行道場があるのは…清流に恵まれた山里に正眼僧堂があります。 まあ そういう例で 一つある人類学者というのか学者から聞いた話ですけどもね カナダのトロント大学の教授なんですがこの方と坐禅をしたあとにこういう話を聞きましてですね。 オーストラリアに アボリジニという原住民の人たちがいて5万年とか 何万年とか言ってみえたですが前から 生活をしていたと。
接心と呼ばれる集中して 修行に取り組む期間になると一日 5時間から15時間 坐禅を行います。 禅堂の前門にはここに僧堂を開いた雪潭禅師の像がその上には 聖僧さんと呼ばれる文殊菩が祀られています。 一のというのは 線香が一本燃え尽きる時間を 一と言います。 侍者さんは 坐禅中に皆も大変だろうといってお茶を持ってきてくれたりとか あるいはちょっと坐禅中に体調を崩した者とか休ませてくれたりというような指示を出しますね。 長時間 足を組んで坐るということも最初から できるわけじゃないですね。
一番簡単なのは数息観という呼吸法なんですがつまり 吐く息に合わせて数を数えていくんですね。 「一寸坐れば一寸の仏」って昔から言いますね。 僅かな時間でもこれを しっかりやって頂ければ皆さん 一寸坐れば一寸の仏とこうなるはずです。 今 飛行機が ジェット機がドーンと ここに落ちてこようと外 いろんな境界ですねそういう事件が起きたとしても心の念が 全然動かない。
自力でもって自分自身を静めていくんじゃなくて坐禅姿そのものがもう既に静まっているんだと。 坐禅をして 自分自身を調えていくこれ やむをえないんですよ。 そこに スッと自分を投げ入れてしまって坐禅が坐禅をするというんです。 夜休む時間とのちょうど 中間点というんですかねその時が一番 坐りやすいというか静かに自分自身を調えていく時間としては最適だと思いますね その時が。
これは 私も自分の師匠からこの公案を出されてまた次の問題を出してくれるというのか一応 それも やっているんですが一つ 自分自身の中で首をひねっているわけですから住職は 病で倒れられてもう病院に ずっと入院中ですので寺の用事ですね それをも 要するに代理にやりなさいということで派遣されたわけです。 で そうして2年ぐらい…1年半ぐらいでしたかな たった頃にその本尊さんが 釈牟尼仏です。 自分自身の問題をそれに乗せて 解けるかどうかなんです。
逸外老師は閑栖老師になられてましたがその閑栖老師に あるお客さんが来られた。 ある修行僧がですね 自分の師匠これは 雲門文偃禅師という人にですね 質問します。 その方は ロスチャイルドという人でした。 逸外老師は それに対して「何? 体露金風かね」。 逸外老師は 「そうだな。 そうしたら ロスチャイルドさんが頭を こう下げてしばらくは 「う~ん…」というそういう表情をされてましたけど急に ふわ~っと いい顔をされてにっこり笑った。 その時の ロスチャイルド氏の顔笑顔がですね非常に いい笑顔をされてますね。