お願い!編集長「100分deメディア論」

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この番組のまとめ

♪~ウォルター・リップマンの「世論」。 ウォルター・リップマンというのはアメリカのジャーナリストの長老と言われるほど有名な方なんですけれどもこの方が1922年に この本を執筆してこれが大変有名になった。 この経験の中 大衆の心理がどう作られるかに関心を寄せたリップマン。 その仮の現実を リップマンは「擬似環境」と呼びました。 人種に対する見方 道徳観理想の国家像などリップマンは考えました。

どうして ステレオタイプを持ってしまうんですか?一つには 経済性の問題というのがあって周りの世界で起きている事って全部は見る事ができないじゃないですか。 「嘘つきだ」というステレオタイプとってるなら まだいいですけど例えばお隣の国との敵対関係とか世界中で いろんな所であるわけですけどやっぱり このステレオタイプという問題が大きくなると思うんですね。 リップマンは 新聞も ステレオタイプからは逃れられないと指摘します。 経済効果を期待する彼らのために新聞社は人々のステレオタイプに合わせた話題を盛り込みます。

リップマンの問題って やはりその 民主制という問題と非常に密着した問題だと思うんですけれども。 デモクラシーも危機に陥るだろうと言っていたんですがまさに そこから100年後にリップマンはこの「世論」という本を書くんですけれどもそれは 非常にリンクした問題だと思いますね。 当時 大統領のブレーンの一人だったリップマン。 リップマンは度を超えた大衆操作を批判。 ウィルソン大統領自身も 非常にそれに心酔してしまってじゃあ 反対意見をもう 出ないようにしようと。

そのあと一旦 実はアメリカって揺り戻しがあってレーガン大統領の時にこの広報委員会は おかしいと違法じゃないかというところまでいって本当に ある種 ジャーナリズムの黄金時代というのがあったんですね。 つまり あなたのステレオタイプからいくと こういう…。 もともと持ってる ステレオタイプを単に 強化してるだけだったりする場合がある。

1941年から在位していたモハンマド・レザー・パーレビは冷戦時代アメリカの経済的援助を受け脱イスラム化と 世俗主義による近代化政策を推し進めました。 アメリカとイスラムって 関係ないっちゃ関係ないんですけど同じ一神教でいわば 遡っていくと中東の荒野で生まれた兄弟みたいなもんですからね。 それを理解する上で重要なのがサイードがその代表的著書で分析した「オリエンタリズム」の考え方です。 「オリエンタリズム」とはもともと 美術の世界などで「東洋趣味」を指す言葉。

オリエンタリズムの中で描かれた例えば文芸作品やあるいは絵画というのは 何か単に 東洋を見下したり侮蔑しているというものではないんですよね。 つまり合理的な自分たちというものが非合理的な人たちに対してちゃんと道筋をつけてやるというのが正当であるというこういう 支配のあるいは威圧の様式としてオリエンタリズムは機能するというのがサイードの言いたかった事なんですよね。 これは それこそ堤さんアメリカで お仕事なさってたりしてて感じます? このオリエンタリズム。

続いてのプレゼンターは…「あいつは空気を読みすぎてつまんないコメントしかしない」とか。 帰国した後出版社を経営するかたわら日本人論を中心に評論活動を行いました。 空気というものについてクリティカルというか 批判的に語られてるんですよね。 だけど僕ら例えば 「KY」というのは空気読まない事は けしからんという意味で使われてる。 つまり 空気を読む事がもう 良い事にまでなっているわけですから山本さんの時代より一層 空気というものが重要になっている。

もう一つ 重要な事なんだけど空気っていうのはねさっきの戦艦大和も そうだけど…つまり全員 戦艦大和の出撃は非合理だって分かってるんですよ。 誰一人として それが合理的だと思ってる人はいないんだけど空気さんだけがですね「戦艦大和 出撃だ」と。 もちろん それはディレクターが早く分からせるための技ではあるんだけど じゃあ例えば報道とか その中間の報道バラエティーとかになっていくとこれは 空気に支配させるお手伝いをちょっとしてる気がする。

マスメディア自体が空気を作ったり増幅したりする装置になって超大型の空気ができてしまう。 言葉がね 先ほど言ってた臨在感的把握 いろいろなものに感じるという中で 本当は一番重要なのは言葉なんですよ。 言葉に 臨在感が宿るというかつまり…「一億総中流」なんかほんとに みんな中流だと思い込むようになったでしょ。 まさに こういう言葉ができてその空気を共有して実際には 結構貧しくてもすごいお金持ちでも みんな自分は中流だって思い込むって。

でも ふわふわと考えがあまり定まってない時にこういう ひと言をバンッと入れるだけで一つに まとまるのであればそりゃ 為政者とか権力はそれを使いたがる?例えば 「アベノミクス」なんていうのもねまあ 臨在感ですね。 あれは短いし瞬間的に消費されるメディアなので非常に皮膚感覚的な空気を作るんですね。

ウィンストンの担当は党にとって都合の悪くなった過去の新聞記事などを指示に従って 改ざんまたは抹消する事でした。 党が国民に求めるのは「二重思考」という特殊な思考方法。 平和省というのは戦争をするんだっていう事をみんなが 「そうですよね」って思えるのが 二重思考という。 実は 人間ねそんなね 二重思考やっても全然 苦痛でも何でもなくて普通にやっちゃうんですよ 結構。

普通 フィクションって ちょっと誇張しすぎだろとなるんだけど現実はもっと誇張されてるよ みたいな。 僕らは 最初に自由というと人間は自由だとか人間は 政治的自由があるとかそういう事を思い浮かべるでしょう。 ところが このニュースピークでそういう意味での自由という意味は削除される。 これ どうなるかというと「フリー」っていう字を見ても「人間は自由だ」っていう概念がないので自由になりたいって思わないんですよ。 一個一個の単語からものを深く考えたり権力に抵抗したりするような意味を全部削除してる。

「誰もが自分の席で飛んだり跳ねたり声を限りに叫んだりして二分間憎悪のクライマックス。 それでね その時に普通に自由を行使した方がね不便であったり間違いが起こるんです 本当は。 でもね その間違いを一つも犯さなくなると自由一般を失いますよね。 で 一個一個の小さな便利を1万個 つなげるとね結果的に 自由を失った事になると思うわけ。 だから 一個だけ比べるとね自由なんて抽象的なものだしこの すごく便利だという感じだから常に こっちが勝つんだけども結果的に そうすると自由はゼロになりますよっていう。

毎分視聴率の分析をしていくとどういうものが 数字を取るのかが見えてくるってものすごく会議で分析するようになって。 どうしてって言ったら 「いや 実は毎分視聴率が良かった」ってなった時に 何だか分からないの自分たちの作ってるものが。 人間の心地いい点滅みたいなものをただ ぼんやり見ていくものが究極的に いいテレビみたいになるんじゃないかって時にそれが多分 何か大澤先生がおっしゃってた自由を満遍なくもってくと 本当に自由無くなっていくに近い。