激動の1970年代ファッションデザイナーとして世界に衝撃を与えた山本さん。 デザイナー プロデューサー 創業者そして 人の親といくつもの顔を持つ山本さんが徳川 2代目 3代目が江戸城天守に込めた思いに迫ります。 やっぱり 前の将軍がつくった天守であるとですねかなり 自分自身のアイデンティティーと関わって否定するようなこととかっていうのはあるもんなんですか?あります あります。
その家康が 徳川宗家の居城として建てた江戸城の天守を僅か16年で壊してしまった2代目 秀忠。 家康が江戸城の建設を開始したのは慶長8年のことでした。 しかし 2代将軍 秀忠とは 名ばかりで…最強の防御を誇る連立式天守も白漆喰に塗り込められた壁も5つの連続枡形の採用も…。
その破風も 三角形の形のものと唐破風っていう 緩やかな曲線を描くこれ すごいお金かかったと思うんですけど今ちょうどですね 江戸城の大天守よりもまあ 少し小さいんですけども愛知県の名古屋城の天守を 木造で再建したらどうかっていうことでいろいろ計画っていうんですかねそういう案を練っているんですけども木の部分ですよね石垣の上の部分をつくるだけで500億円以上かかると。
そうですね 私たちは もう過去の歴史ですから当然 家康の次は秀忠で秀忠の次は家光だっていうそう思っていますけどもやっぱり それは どう継いでいくかあるいはどう継がせるかっていうところでまあ 本当に苦労の連続だったっていうことなんでしょうね。 家康を祀る豪華絢爛な日光東照宮も家光が100万両ともいわれる大金を投じて建てたもの。 そんな家光からすると家康の天守を壊して建てた秀忠の天守を快く思っていなかった可能性もあります。
実際 実用的といいますか 地震ですとか火災とか災害に強いっていうところも屋根の荷重だけで もう何トン… もう何十トンってことになってしまって軒が どんどん下がってきてしまうっていうようなことも起きますし本当に 天守が傾いてしまったっていうものですねいくつも事例がありまして 例えば姫路城の大天守なんかも少し傾いてきちゃったりとかそういった問題が生じたりっていうことが ありましたのでそういったものを未然に防ぐっていうことでもやっぱり こういった銅で瓦をふいていくんだっていうのは極めて先進的で合理的な判断だった